ぶつかり稽古をしごきではなく、理にかなった練習法だと教える方法

相撲の稽古の中で、だれもが一番きついと認める練習方かもしれない。あ、でも今の稽古風景を見てると昔ほどキツくなさそうで、そうでもないかもしれない。この稽古を好きだというのは今の理事長くらいなのではないか?相撲経験者なら、わからない人はいない。一般の人はあまりピンとこないかな?だって相撲はぶつかり合う競技だから、どれがぶつかり稽古だなんてわからないだろう。

稽古の中での総仕上げ、最後の追い込みみたいなものかな?ただひたすら押す、転がされる、頭を引っ張られながらのすり足など、変則的に組み込まれる。最後の力を振り絞るのでそうとうきつい、きつい稽古だから、制裁目的で課せられた時代もあった。また別名が「かわいがり」という隠語も存在する。たとえきつくても強くなるためのことだから、結果的にはいいことだという意味だが、ネーミングのセンスがなさすぎる。とにかくぶつかり稽古のイメージが悪い、確かにきついがマラソンよりはマシでしょ?やはり、しごきのイメージが出来上がっているからだ。

今の時代、このぶつかり稽古がなぜ大事なのか具体的に説明できる人はいないだろう。もしいたとしてこのブログをご覧になっていたら連絡下さい。お酒を飲みながら語り明かしたいです。必要不可欠でありながら、忌みお嫌われているぶつかり稽古をいかにして率先して取り組んでもらうか?私はずっと考えてきてようやくそれを文字におこせそうな気がしてきた。というかやる気が出てきた。

どんな人間でも、どんな競技でも緊張する場面が出てくる。そのとき心拍数が上がり、呼吸が浅くなる、息が上がっている状況だ。普段からこの状況を訓練することはままならない、どんなにイメージしたところで本番にならなければ計り知れないからだ。しかしぶつかり稽古は、息が上がった状況をシュミレーションできる。ぶつかりげいこはしごきではなく、本番に限りなく近い状況を訓練できる稽古なのだ。こんな風に理論的に説明する人物は見当たらない、だいたいは「おれらの時代はなぁ〜」から始まり、ぶつかり稽古で立てなくなったら、竹刀でたたかれた、口の中に塩や砂を入れられただの武勇伝を語る始末。そういう輩は自らその荒業に飛び込んだのではなく、何かやらかして制裁目的でやられたのだろう。こういった志がない稽古をしていてもたまに強くなってしまう奴がいるから始末が悪い。まぁそんな人間からは得るものは一つもないということだけははっきり伝えておく。

制裁、罰といった類は稽古場に持ち込んではいけない。土俵は神聖な場所であるし、しごきなんぞは不浄の考えだ。きちんと本番に備えた稽古なのだと大事な鍛錬法だと諭せば、今の時代の人間の方がまじめにやる。要は、なぜこの稽古がひつようなのだ?という理由づけが欲しいのだ、理由なくしてきつい稽古をする意欲は湧かない。本当の意味で時代に合わせるというのは、きつい稽古をさせないという単純なことではなく、いかにして質を落とさず昔の稽古を受け継がせてうぃくかではないだろうか?本当に制裁・罰・しごきを課したい人間がいるのなら、稽古場立ち入り禁止のほうがいい。稽古できなければ弱くなるのだからこれでいいのだ。

ひたすら押して、土俵際で残され、こかされて、頭を引っ張られてという荒業とも言えるこの稽古。自分で終わるタイミングを決めることは本来できない。胸を出すほうが主導権を握る、その自分で思い通りいかない、いつ終わるかわからない、しかもものすごくハードという心身共に疲弊するこの稽古こそ本番により最も近い稽古なのである。例えば対戦相手だって、勝つためにどんな動きをしてくるかわからない。そして長い相撲にもつれる可能性もある、はたいてくる可能性もある。

いつ終わるかわからない恐怖は対戦相手がどのように攻めてくるかという恐怖にリンクするし、ぶつかり稽古で鍛えていれば長い相撲にも耐えれるスタミナがつく、頭を引っ張られるすり足は、肩の余分な力を抜くことで前に落ちにくくなり、叩かれる可能性も少なくなる。あとは、先ほど述べた心拍数の問題。息が上がっている時というのは冷静さを見失いやすい。この場面に少しでも多く浸り、身を持って経験しない限り慣れることはできない。

昔の人間ならまだしも、今合理化ばかりにこだっわった社会で育てられた人間にはこのぶつかり稽古の真髄は、順を追って丁寧にはなさないとわからないだろう。しかし、一見非効率に思えるこのぶつかり稽古ほど、理にかなってて、成績を残すための近道になってるのだ。ぶつかり稽古の質が落ちた今の時代こそこの事実に気づいた者はチャンスかもしれない。

ぶつかり稽古をしごきではなく、理にかなった練習法だと教える方法」への2件のフィードバック

  1. きどづか 返信

    ぶつかり稽古の意義など教えないというか
    教えられない人ばかりですね、、

    私はぶつかり稽古は
    究極に追い込まれ、力の入らない状態にし
    その状態から押す稽古を続けさせることにより
    身体が筋肉だけに頼らず
    身体全体をつかって押すことができるようになると思っています。
    脱力の状態にあえて追い込み
    本来の効率のよい押し方を得られると思っております。

    またおっしゃられるとおり
    本番で
    どんな状況になっても
    本来の力を発揮するために
    必要な稽古だとおもいます。

    とくに呼吸や相手の呼吸をよむ
    動き出すタイミング、力が伝わるタイミング
    も本番さながらに身につくかと。

    • ooiwato-master 投稿者返信

      コメントいただきありがとうございます、ただの根性論で、やってれば強くなるじゃ誰もついていけませんよね。おっしゃる通り限界を超えた時、体に無駄な力が入らなくなり、一番強い状態が見つかるのがぶつかり稽古ですね。今はこうしたことを教えれる人を若者は欲してると思います!また漫画で発信しませんか?^_^

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です