もうすぐこの季節である、と思ったら今年は10月31日だったか( ̄∀ ̄)夏の風物詩、小学生の相撲競技者の青春そのもの。一大イベントである。厳しい地区予選を勝ち抜いて憧れの両国国技館で相撲を取る、私は5年生の時に出場した。山形の田舎から、地元の青年会議所の引率の方に連れられて電車で一路東京へ向かう、完全に旅行気分だ。羽越本線から、特急いなほで新潟駅まで行き、そこから上越新幹線に乗り換える。なんと乗り換え時間が10分もなかったので、必死に走った。新幹線で大宮あたりまで来ると、街並みが都会になる。田舎者はここでワクワクするのだ。
終点の東京駅に着いて、なんやら乗り継いで両国駅に到着する。浅草橋から、隅田川を通過するあたりから巨大な国技館が目に入ってくる。憧れの聖地が駅のホームからしっかり見えてとても感動した。あの頃は純粋だったね(笑)。駅から、国技館へ向かうが少しずつ大きく見えてくる、もう大興奮!地元の人なのだろうか、国技館に目もくれず淡々と歩いていく人に疑問さえ感じていた。入り口のエントランスを通るが、とにかく広い。突き当たりにいつもは展示されている賜杯などは飾られていない、多分名古屋場所終わってばかりの時期だから、荷物を移動し終わってないんだろうな。
そして、中に入り升席に座る。テレビで見るより、小さく感じたがやはり全体が大きかった。優勝額にも興奮した、当時は千代の富士の額が圧倒的に多かった。私の師匠の八角親方の優勝額も間違いなくあったのだろうが、印象が薄かったのか記憶にない(笑)。しかし一番目立ったのは、元横綱の貴乃花氏が初優勝した時の優勝額、貴花田時代のである。ほとんど化粧廻しの絵なのに一人だけ締め込みの絵だった。これは当時、あの横綱栃錦時代からの久々のことというので話題になっていた。
しばらく枡席に座っていると支度部屋へ集合をかけられる、花道奥へ進んでいくとそこにその空間があった。なにもかもテレビで見た世界、お相撲さんが出番前に準備運動しているのを見たことがある場所だ。もう少し浸りたいのであるが、選手たちで溢れ返りざわつき、それを青年会議所のスタッフが大声で注意する、思いにふけることはできなかった。何をするのかと思ったら、入場行進の練習だった。そのまま土俵周りのところまでリハーサルをし、座る。
今度は相撲の指導で、大山親方が登場して、教習所の指導員であろう力士が四股やその他の所作の見本を見せる。はっきりいえばとても退屈、たぶん誰も聞いていなかったと思う。その後は地下の大広間へ向かう。支度部屋へ向かう花道と反対側の花道の奥へ行くと、その空間はある。本来場所中ならば、ちゃんこ鍋が食べられる場所だ。「わんぱく相撲教室」という、各界の著名人の話を聞くというイベントである。
赤い絨毯敷きの部屋で座ってると、あの元阪神の選手の掛布雅之さんが登場した。野球好きの子供にはたまらないくらいのヒーローなのだろうが、全く興味のない私にはあまりピンとこなかった。むしろ、所さんの番組出てたカケフくんという子役の方が自分の中では有名人だった。掛布氏の現役時代は知らず、バラエティー番組でイジられ、松村邦洋に真似されるくらいしか認識がなかったのだ。ほとんど話は聞かなかった、まず話を聞かない子供だったことがうかがえる(汗)。
そんな一連の行事を終え、その日に泊まる相撲部屋へ向かう。私が泊まったのは高田川部屋だ、今の清澄白河の場所の前の、江戸川区の方の部屋だった。少々移動が大変だったが、やっとの思いで着いた部屋には、馬鹿でかいお相撲さんと、新弟子らしきマゲも結ってない細いお相撲さんがたくさんいた。お世辞にもウェルカムな雰囲気ではない、そりゃそうだ、元々旅館ではないし、名古屋場所終わったばかりで一週間のオフの一部を我々小学生のためだけに潰されるのだからたまったもんじゃない。これは相撲取りを経験したものにしかわからないことである。
着いたらすぐに晩御飯である。強面の兄弟子が2人、稽古場脇のアガリ座敷の真ん中で鍋を炊きながら座っている。そこを我々小学生が囲むように座り、その後ろに他の力士が立つ、囚われの身になったような気分だ。なぜか、真ん中の兄弟子2人は基本怒鳴る。「おい、おかわり聞けよ!水持ってきてやれよ!」・・。気遣っていただいてるのだろうが、大変ありがた迷惑である。飯が喉が通らない、美味しいちゃんこ鍋に、メンチカツやアジフライの揚げ物に大盛りのご飯。本当にご馳走なのに、場の雰囲気によって美味しく食べれなかった。むしろ、作るだけ作ってもらってセルフで勝手にやってくれの方がよっぽどいい。もっと食いたかったが、腹八分目で終わった。
晩飯のあとは風呂、部屋近くの銭湯に連れていってもらった。お相撲さんも来た、怖い兄弟子は早めに来て帰っていったが、他の力士は私らとほぼ同時にきた。お相撲さんとはいえ、そんなに歳は変わらない、中卒の新弟子なんて歳が近いから話も弾む。「彼女はいるの?」とか、女の子の話が多かったかな?男所帯の相撲社会だもの、そういう話題はいつの時代も一緒なのだ。
後編へ続く。