彼がまだ三段目くらいの頃だった。漢字一文字で珍しい四股名の子がいるなぁと思っていたが、それ以外何の情報もなかった。所属する伊勢ノ海部屋は江戸時代から続く歴史の古い伝統のある部屋なので、昔のちょっと変わった四股名をつけることが多い。
私が十両の頃、夏巡業に彼も参加していた。一門も違い喋ったこともないのに、なんかその存在が気になり気がつけば毎日のようにぶつかり稽古で胸を出していた、ただ名前が面白かったという理由だけでだ。しかし胸を出していて気付いたのは、名前がユニークなだけでなく、素質も魅力的であった。身長もでかい、わんぱく相撲からの実績も申し分ない。この子はいずれ上がってくるんだろうなと感じた。予想通り少しづつ番付を上げてきて、ついに対戦した。確か私が「大岩戸」という四股名に変わってからの最初の場所だったと思う。お互い成績次第では十両に上がれるという位置の幕下上位でのことだ。こっちは何回も十両と幕下を行き来していて一日の長がある、向こうは新十両に向けてのプレッシャーがガチガチにあった。初対戦は経験の差で勝たせてもらいました、この場所お互い勝ち越して十両に昇進したが、その後彼はトントン拍子に出世していく。最初に勝ってからは一回も勝たせてもらえなかった。
まさの四股名の如くであった、相撲は強いし歌はうまい、すぐに人気力士の仲間入りになっていった。その後も稽古はよく一緒にさせてもらった。八角部屋に出稽古にきた時は、うちの師匠も気合いが入っちゃって、二人で3番稽古(相撲通ならわかると思うが、3番とは3回だけ相撲を取るのではありません、同じ相手と何回も相撲を取る稽古です)を真夏に90分やらされたこともある。自慢じゃないけど、今こんだけ稽古する力士はいないだろう。しかし私はこの時30歳を越え、ピークは過ぎていたので結果的にオーバーワークになってしまった。しかし向こうは伸び盛りで、稽古したら稽古した分だけ強くなっていったものだ。この時を境にお互い番付はどんどん引き離されてしまったけど、そんなことはどうでもいい。稽古をめっちゃしたというのは、力士の青春の思い出なのだ(と自分に言い聞かせている)。
解説の北の富士さんは、この時稽古を見に来ていて、テレビで勢はよく稽古するなんて褒めていたが、俺のことは一切言われたことはない。正直あの方は見た目で判断することが多いのでNHKをご覧の方はよくよく気をつけたほうがいい。まぁ、力士は褒められるために稽古してるわけではないのだからそんなことどうでもいいんだがね。
話を戻すが、その後の勢は横綱・大関を脅かす存在になっていた。けれども強くなっても決して偉ぶらなかった、ずっと変わらぬ付き合いをしてくれた。私の断髪式でも、結婚式でも歌ってくれた。本当に嬉しかった。相撲人生の後半は怪我で苦しんでいたが、休場しないで頑張っていた。そんな愚直は生き様には好感が持てる。最後は骨折までしてしまい、休場を余儀なくされて、そのまま引退となってしまったが本当にお疲れ様でした。ゆっくり体を休めてください、また落ち着いたら飯でもいきましょう。
「ありがとう、感謝!」
またどこかで勢関の素敵な歌声を聴きたいものです。
コメントありがとうございます。そうですね、彼も歌が大好きですからまたすぐに歌ってくれると思います(^。^)
あの歌は八角親方もお気に入りで、いつも歌ってくれって言ってました。どんな場所でもアカペラで歌ってましたよ^ ^