相撲好きな人々は時代の違う歴代の横綱同士が戦ったら誰が強いだろうという妄想を抱くことがある、小生もその一人だ。たまにそういう議論の場に立ち合うことがあるのだが、必ず出てくるのが、昔の横綱と今の横綱を戦わせた場合どちらが強いか?という話。小生の周りは、現代の横綱が強いに決まってるというのが多くいた。その根拠は、数字という目に見えるデータかららしい。体重・身長、それとトレーニングや栄養の発達も加味されてのことらしい、議論の時は相手があまりにも自信満々にそのデータを持ち出して語ってくるのでなるほど納得してしまっていたが、当時は青かったなぁと今思いだすとただただ赤面である。
議論するまでもなく、昔の横綱が強いに決まっているじゃないか!データなどという目先の数字に納得させられた自分が恥ずかしくて仕方ない、古の先人達に申し訳がない。トレーニングが発達したから?そのおかげで今ひっきりなしにケガ人が増えているではないか?栄養学の発達、そして十分な食べ物のおかげで栄養過多になり、体重ばかり増えスタミナは著しく減少。ぶつかり稽古なんかやったらすぐ息があがってのびてしまう始末。あからさまに弱さを露呈している昨今なのに、これでも現代のほうが強いという人がいたら、もうどうぞご勝手にという感じ、論じるまでもない。序二段まで怪我と病気で落ちたのにトントン拍子で照ノ富士は大関まで戻ってきた。しかもそれどころではなく、最高峰の横綱に登り詰め、目下その勢いは止まることを知らない。幕内の中で一番の故障を抱え、膝の痛みに耐えているにも拘らずだ。そして、引退した白鵬も怪我で休場続きで稽古もしていなかったのに、全勝優勝して土俵を去っていった。いわば勝ち逃げを許してしまった。これだけ、今のレベルが落ちているのが明確なのにもう話す必要もないだろう。
小生が引退して気づいたことがあるが、間違いなく体重や栄養は関係ない。やはり稽古の量だろう、力士の皆はわかっているはずだ。けれどもその環境が今の時代ない、相撲部屋、稽古場はある、しかし、やる人間が・・・。それこそ古の稽古を再現するべく立ち上がる人間が二人以上いないと相撲の場合は稽古にならないのだから。そして、絶対的な時間も必要。百番稽古のような荒業を推奨するような親方はいないのだろうか?毎日じゃなくたっていい、とても体がもたない。いついつ百番稽古をとり行う、我こそはというものは名乗り出よという風でいいじゃないか?普段の稽古で自ずから厳しい稽古に挑み、プレッシャーをかけてピリッとした雰囲気に持っていけば、決してやらされている稽古ではなく自発的な稽古になるのだから、自信になる。そして、そういった力士こそ評価されてこそ正常な世界となる。シャミ(喋り)がうまい、なんでもはいはいと言うことを聞く上からすれば扱いやすい人間、タニマチ(支援者、スポンサー)作りがうまい人間だけが評価されるような世界ではいずれ衰退する。公益財団法人というお墨付きをもらっていても、中身が薄くなればファン離れは免れない。実は今ほど力士の方がファンに歩み寄っている時代はない。力関係が力士<ファンになっている、こんな寂しいことはない。かつては神様の使いだといわれた、様々な格闘家も「相撲が最強」と謳った(10秒くらいならありえるかも)。今そんなこと胸を張って言ってみてほしい、ただのバカと思われる。確かに相撲が崇められた時にあぐらをかいてろくなことをしなかった輩もいたのも事実だ。けれども、くたくたになるほど稽古した人間は余計なことには体力は使わない。アホかましていたのは稽古せずにずっと相撲部屋に居座っているクソ兄弟子だ。
SNS、ファンのためのイベントなど苦心を重ねて企画してきたと思うが、それと強い次世代の力士を育てることどちらが優先だろうか?コアなファン、本物の目を持つファンなら言わずもながだろう。目先の利益を優先するか、長い目で人材育成するか、白鵬引退した今、照ノ富士に対抗するような人間を育てられるかが相撲界の今後の課題である。強い人間が出てくれば、人気は上昇する、タニマチは増える。相撲界のイケメン力士なんて、丁髷つけて、太った人間の中だけでの話で外に出たら話にならない。勘違いして恥をかく前に稽古させた方がいい。