すっかりバラエティー番組で力士を見かけるようになりましたね、しかし私はほとんど見ておりません、言うまでもなくつまらないからです。最初は自分自身の、テレビに出演している力士へ対しての妬みやそねみ、やっかみかと思っておりました。メディアに颯爽と登場すれば知名度は上がる、芸能人と共演し、それなりのギャラもいただけるでしょう。普通ならば羨ましくなるのもおかしくはない、しかし私が面白くないと思うところはそこじゃないんだなと最近気づきました。
力士が芸能人化してることで相撲の価値が下がっているような気がしてならないのです、お相撲さんは優しくて力持ち、そして明るく楽しく親しみやすいというイメージは大変結構なことなのですが、お笑いのネタになることとそれは別物ではないでしょうか?しかもシャミ(お喋り)が得意であっても、所詮は素人に毛が生えたくらいの面白さしかなく、本場の芸人には敵いません。そのような畑違いの場に出ていることがつまらなくなっている最大の原因に思えてならないのです。
メディアに出演することでファンサービスにつながると考えてのことでしょうが、広義の意味ではそれは成してはいないと思います。コロナ禍でありながら、入場制限ギリギリまでお客様が来てくださる、懸賞金をかけてくださる企業がたくさんあることは大変ありがたいことです。しかし、本当に相撲が好きで、土俵上の勇姿を楽しみにしていた好角家と呼ばれる方々は相撲離れしているのではないでしょうか?本当に人気を回復させたいなら、土俵の充実以外方法はありません。土俵の充実とはつまり相撲内容です。手に汗握る攻防、そして、優勝や三賞、大関や横綱昇進などに臨む男達の自分との闘いの姿こそが力士本来の輝く姿です。
昔と比べたらインターネットの普及、SNSの普及で力士と一般の方々の距離はだいぶ縮まりました。しかし、公私ははっきり分けた方がよろしいのではないでしょうか?ファンサービスは大事かと思います、しかし大相撲がする本当の意味でのファンサービスというのは強い力士の台頭以外ありません。普段の姿をさらけ出し、距離感を縮めるのがファンサービスではないはずです。バライティー番組で司会者に突っ込まれることがそんなに人気が出るのでしょうか?大食いすれば人気が出て顔をずっと覚えてもらえるでしょうか?いっときはそうであってもずっとはないと思います、ただの見せ物であり、これでは動物園のパンダと変わりません。
人気がなければ食べていけないことはわからなくはありません、しかし価値を下げてまで目先の人気を獲得するのはどうなのでしょうか?苦しい時代に先人達が作り上げてきた大相撲、相撲道の価値を下げてもいいのでしょうか?単純に考えてください、双葉山がテレビに出てゲラゲラ笑っていたらどうでしょうか?言うまでもなく人気が下がると思います。神々しいまでの存在感を一瞬でなくしてしまうでしょう。
私も引退して4年が経とうとしておりますが、相撲・大相撲の世間における価値が実は低いということを痛感させられる経験をたまにします。お相撲さんは花形であると同時に、相撲以外は何も知らない、何もできないというイメージも同時に持たれてしまっております。これを俗に、「お相撲さん気質」と言っているそうですが、この言葉は良い意味でも、悪い意味でもいかようにも使えるみたいです。でもやはり後者で使われることが多いみたいです、「世間知らず」という意味なのでしょうか?使い方でいえば「あれはお相撲気質が抜けてないから困ったものだよ。」と言う感じです。
夜の街に連れて歩くなら箔がついて力士は重宝されるでしょう、しかし身内になるとなると話は変わるみたいです。例えば、自分の身内になる、それは経営している会社の社員に迎えるとか、養子に迎えるとか、自分の娘と結婚させるとかです。そうなると、身構えてしまうみたいです。
大相撲の価値が下がるという流れをまとめれば、土俵の充実さが欠ける→テレビ出演→ミーハーのファン急増→好角家の減少→力士の価値が下がる→ファンの