磋牙司

 私が彼を初めて見たのは小学6年生の時のわんぱく相撲全国大会だ。この時彼は優勝し、わんぱく横綱の称号を手に入れた。実は、この時私は四回戦で負けたが、勝っていたら次の対戦相手が磋牙司の磯部洋之君だった。対戦できずに残念というかホッとしたというか複雑な気分だった。

 とにかく彼のこの大会での存在感は凄かった。体型はとにかく小さい、イメージでいえば今の炎鵬みたいなサイズだ。それがあれよあれよと勝ち進んでいく、相撲の内容はともかく。あの四股の足の上がり具合が忘れられない。大会のルールとしては、選手は土俵周りに座って出番を待たなければいけなかったが、中には厳しい道場の薫陶を受けている選手が、掟破りの四股を踏んでいた。彼もその1人だったのだが、小さいながらも勝ち進んでいく様、そして180度を超えるような足の上がり具合の四股を踏む姿は他を圧倒していた。

 時が経って一年後の中学一年生の時に、全国少年親善相撲立川大会で再び見かけた。小さかった体の印象は薄れ、厚みが増した体に変貌していた。今の宇良のような体に一年で変わり、特に下半身の太さは尋常ではなかった。上の学年相手にも引けを取らず、大きくなった体はそれまでの技術に加え、力強さも加わっていた。そして中学3年時には、全国都道府県中学生相撲選手権大会で優勝していた。間違いなく、私の学年では絶対的強さを誇っていた。

 高校になってもその勢いは止まらない、なんと高校2年生でインターハイで優勝し、高校横綱となる。この時の準優勝は、一学年上の絶対的強さを誇った内田水(うちだいずみ)選手、後の元小結普天王(ふてんおう)の現稲川親方である。おそらく、ほとんどの人は内田選手が勝つと思っていただろう。ちなみにこの時の3位2人のうちの1人はドルゴルスレン・ダグワドルジ。そう、後の68代横綱朝青龍である。

 こんな強い人間がひしめいている中で優勝する実力者とついに対戦する日がやってきた。この2年生の秋の神奈川国体の団体戦で対決した。結果は負け、接戦とは程遠く相手にされない感じであった。悔しさもなく、追いつくためにまた練習するしかないと淡々としていた。

 二回目の対戦は高校3年生の時の全国高校相撲東西対抗大会だったが、この時も余裕でやられた。そして、三度目の正直。熊本国体で団体戦で対戦し、初めて勝った。勝った時は喜びというか、信じられないという気持ちが強く、フワーッと体が浮くような感覚だった。けれども、長年第一線で活躍してきていた彼は、少し疲れ気味にも見えた。勝ち続けることのプレッシャーは相当体力を奪う、もし次対戦する時はお互いベストでやりたいなという気持ちが芽生えた。

 彼も私も大学に進んだ。向こうは東洋大学、私は近畿大学に入る。私は本人から近畿大学入るから一緒に頑張ろうと言われたのに、なぜか東洋に入っていた。大学一年生の宿命である雑用に追われ、みるみる体力を失っていく私を横目に、彼は数々の試合で活躍する。そして、全国学生選手権、インカレで彼と、木村守(後の元幕内木村山、現岩友親方)、中野一成(後の元幕下武誠山)の一年生を中心としたチームで東洋大学初の団体優勝を飾った。

 大学2年の宇和島大会で個人戦で久しぶりに対決した時は勝ったが、向こうは少々お疲れ気味だった。十和田大会の団体戦で対戦した時はいい所なく負け、故伊東監督に怒られた。3年生になり、七尾大会の団体戦決勝では先鋒戦で勝ち、刈谷大会の個人戦では準々決勝で負けた。

 この年のインカレでも、東洋大学は団体優勝を果たした。学生相撲の人間達にとって、インカレの団体優勝というのは最大の目標である。それを4年生になる前に2回も奪われてしまった。私は彼らの活躍を目にしっかり焼き付けて冬の稽古に励んだものだ。

 4年生になって宇佐大会の個人戦で当たったが、これまでとの勝ち方とは違い何か手応えを感じる勝ちだった。この一番で自信がつき、私はこの大会で生まれて初めて全国という舞台で初めて二位になった。

 アマチュア相撲での対戦はこんなものだろうか?大相撲に入ってからは、それはもう何回も対戦したし、稽古もした。飯も食いに行ったし、私の断髪式・結婚式にも来てくれた。とにかくズボラな私と違い、相撲の研究熱心なこと。わんぱく相撲の話をしたら私のこともチェックしていたらしい、立ち合いが強いから警戒していたと。たしかに立ち合いには自信があった、しかしそのあとの出足がなく、だいたい叩かれて負けるのだが、特に目立つ存在でもなかった私をチェックしていたというのは、とにかく相撲に対する姿勢というものが群を抜いていたということである。でなければ、あの体で全国優勝、しかも長い間君臨できなかったはずだ。

 私の大相撲の同期・同学年という括りでは彼が最後の現役力士だった。衰えは隠せないが、やはり長く続けてるだけで応援したくなる。最後の場所となった名古屋では、あと一番勝てば三段目優勝となり、有終の美を飾るところだったのだが、残念ながら最後負けてしまった。

 相撲に詳しい方に聞きたいが、もし彼が三段目優勝を果たしたら、私が幕下で最年長優勝をした各段優勝の年長記録を塗り替えただろうか?もしそうなら塗り替えてほしかった、彼に塗り替えられるなら本望であります。

 コロナで断髪式もまだ出来ずに大変だと思うが、今はとりあえず長年頑張ってきた体を思う存分に労ってほしい。落ち着いたら、相撲の話を肴に飲みたいものだ。本当にお疲れ様でした。

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