4月末に、高校最初の試合を控えていた。岩手・宮城・山形の一部の高校の三県対抗試合である。公式戦ではなかったが、出場する選手は全国レベルなので決して侮れない。そしてその年一年を占う意味でも大事な試合であった。開催場所は、宮城県。少し変わっていて、前日に宮城の高校で合同稽古が行われる。私は入学したばかりだったが、気遅れだけはしたくなかった。中学時代満足な成績を残せなかったので、これからの高校生活で結果を残すには、日々の稽古一つ一つが大事になると自覚していたからだ。
稽古場には、前年の国体優勝者もいた。ここは思い切って胸を借りようとしたが、その選手は実力が違いすぎるので我々の稽古には参加してこなかった。なんとなく消化不良、でもやはり土俵の中心を陣取りたい。その稽古場で、二番目に強い人に挑んで行った。学年は3年生、体も大きく、石頭で真っ直ぐぶちかましてくる相手。正直怖かったが、挑んでいった。ぶちかましも人によって様々で、左右どちらかに少しよけて当たっていく人もいる。そうすれば、頭と頭でゴッツンコする可能性も低くなり、痛い思いをせずに済むからだ。自分もできればそうしたかったが、よけると圧力が相手に伝わりにくい、その後の相撲の流れが悪くなる、首を痛めやすくなると気づいていたので、痛い思いをしてでもまっすぐガツーンと当たっていくことに決めていた。
さあいよいよ相撲を取る。予想通り頭と頭でぶつかり合った、ゴッツンという音が響き渡る。痛いのは痛かったが、もう逃げられないから気持ちで開き直り、アドレナリンが出まくっていた。自分が勝った。押し合いになると体がでかい向こうが有利になるからマワシをとって一気に寄り切った!悔しかったのだろう、「もう一丁!」と言われて、続けて取る。更に私が勝つ、指導者も熱くなる。いつしか土俵を占領し、三番稽古(同じ相手と何番も続けて稽古すること)になった。何回も激しくぶちかました頭は赤くなり、疼いていた。全身も軽い擦り傷だらけになっていた、とても試合前のコンディションではない。けれど気持ちは充実していた、無名の新人がわずか数時間で注目を集めることに成功したのである。
翌朝、眠りから覚めた体はパッキパキに筋肉痛になっていた。頭はひりひり痛い、軽くコブも出ていた。疲弊し切っていたが、それが逆に余計な緊張感を出さずに済んだ。さあ試合、前日の稽古が自信を付け体がとにかく動く。ほとんどの相手に負けなかった、そして再び前日激しい稽古をした相手と今度は試合で当たることになる。何回も相撲を取ったから、どう動いてくるか体でわかっていた。こちらの思惑通りで完勝した!しかしその代償に軽い脳震盪を起こしたが・・・。次の出番まで横になっていたが、ああ心地よかった。強い人に勝てたんだから、こんなに気持ちいいことはない。
あれよあれよという間に勝ち進み、個人戦は準決勝まで進んだ。入賞は確定した、次の相手は例の国体チャンピオンだった。その人は体格的には私より身長が小さい、けれども運動神経がずば抜けて良く、立ち合いのスピード、馬力は並外れていた。小学校・中学校全国チャンピオンで、国体だって一年生で優勝している。超有名人だ!その雰囲気に飲まれるということはなかった、むしろやったるわという気持ちの方が強かったように思う。そしていざ対戦、気持ちとは裏腹に、一瞬で吹っ飛ばされた!体が浮いていた、これが全国チャンピオンの力なんだと痛感した。負けたのは残念だったが、それ以上に強い人間のパワーを肌で感じることができたことは、大きな財産になった。高校のデビュー戦は上々であった!
その後はまた日常に戻り稽古に明け暮れる、ハードな稽古と勉強は大変だったが何とかついていった。相撲をする環境という意味ではとても恵まれていたと思う、担任の先生は相撲部の顧問もされていた。校長先生、教頭先生はしょっちゅう相撲部の稽古を見に来て下さった。学校あげて相撲部を支えてくれたようにも思う、そういう環境だったからこそますます稽古にも熱が入った。
では肝心な勉強の授業はというと・・・一生懸命頑張ってはいたが、居眠りはよくしてしまっていた。だって、水産系の高校だから、プールや海で泳ぐ授業もあるんだもの。そして若気の至りで、授業中に教科書を立てて早弁をしたこともある。こんなの完全にバレているのであるが、相撲の稽古で大変な思いをしてることを察してか、先生方は何も言わずにいてくれた。今の時代じゃありえないです、いい時代でした。
しかし、好事魔多しというのか、やはりいいことばかりは続かないのが世の常なのです。それまで順調に積み上げていたものが一気に崩れ去る事態に陥ってしまいます。自分の人生を呪いたくなるくらいの出来事が起きってしまいました、今でもあの時の苦しみは忘れることはできません。そのことについては、次回じっくりまた語りたいと思います。