虫垂炎に腹膜炎を併発して一ヶ月の入院からようやく退院した三週間後には、インターハイが控えていた。無論稽古などまともにできるわけもなく、体重も痩せ、相撲勘も衰えていた。というよりは、体を動かすという習慣させ失っていた。いきなり相撲を取る稽古をすれば、お腹の傷口が開く可能性もある、まずは体力を回復させるためにも四股など基礎を少しずつこなしていった。
私の高校は水産高校で、一年生は必ず海洋訓練という4kmの海での遠泳を達成しなければいけなかった。全員がこれを達成するために、本番までの数週間、夏休み前に全員で泳ぐ練習をするのであるが、これがいいリハビリになった。元々泳ぎはできるし、海は塩分濃度で体が勝手に浮くから、体への負担がかからずに運動ができた。
やれることは限られていたが、ひとまずそれなりに練習メニューをこなして、インターハイに出発する。開催地は京都、大人の事情か何かは知らないが、小さい乗用車で車で向かった。京都へ着く前に滋賀県で泊まる、翌日高校の相撲部の監督の知り合いのお坊さんへ会いに行くためだ。
お坊さんなんて失礼な言い方をしたが、実は会いに行ったのは、比叡山の千日回峰行を達成した光永澄道大阿闍梨であった。翌朝比叡山の麓にある覚性律庵という建物に向かい、お会いしたが、だいぶご高齢であるはずなのに、若々しく輝いておられる風貌であった。今でこそ、私も歴史好きで千日回峰行や阿闍梨の意味もわかるが、当時はなにも知らず、ただ偉い人という感覚しかなかった。厚かましくも、そんな方に「平常心」と書を書いていただいたが、今も大事に実家に保管している。
近畿大に入っていた時に何回かお手紙のやりとりはさせていただいた。同じ関西圏に住んでい流のだからお会いに行こうと思っていたが、滋賀県は中々近くて遠いところにあり、行く機会がなかった。大相撲入ってからも大阪場所の時に行こうと思っていたが叶わず、結局大阿闍梨はお亡くなりになってしまったり再会することはできなかったが、そういった方にお会いできただけでも貴重な人生経験になった。
比叡山の延暦寺などを観光して、京都へ入った。生まれて初めての京都入りであった、昔であれば上洛というのであろうか?元々は千年の都であった場所だったのだから、なぜだか胸が高鳴った。試合の前々日の夜に入ったのだが、これも生まれて初めて「餃子の王将」に行った。当時は今よりもずっと安かったが、こんなに安くたくさんの種類の中華が食べれるのかと衝撃を受けたことを覚えている。16歳の若者には、刺激的であった。
インターハイの試合会場は京都市武道館。クーラーが完備されていて助かった。ウォーミングアップする時の練習土俵だけが外だったのできつかった。試合本番が始まる、個人戦は予選3回やって、2勝したら通過できた。最初の対戦が元垣添関の雷親方の弟で垣添雅俊君だった。同じ学年だったが全く歯がたたなかった。病み上がりの体調ではあったが、本調子でも敵わなかったと思う。高校生になると、皆んな一気に体力がついて「化ける」のだ。次の対戦も、埼玉栄の依田道彦という選手で優勝候補に挙げられていた。無論全く何もさせてもらえず、早々と予選敗退が決まった。くじ運が悪すぎたというのもあるが、なんともほろ苦い全国大会となった。
わざわざ10時間かけて、小さい車で頑張って京都まで行ったのに、一瞬で終わるというのはいささか不完全燃焼であったが、しっかり他の試合を目に焼き付けて、今後の自分の糧にしようと思った。私の同学年の選手達は、一年生なのに先輩達にひけをとらず勝っていた。
私的に、印象的だったのは、元十両白乃波の白石信広君だった。熊本文徳高校のレギュラーとして団体戦に出ていたが、圧倒的強さを見せていた。中学時代から彼を見ているが、とにかく自分の動きを鏡でチェックしていた(笑)。その気持ちはわからなくもない、とにかく均整の取れた逆三角形の体つき。それに伴った胸を大きく広げての歩き方は貫禄があった。
あとは自伝22の話にも登場するが、1学年上の福島相馬農業高校の東井広行先輩の相撲は凄まじすぎた。全国という舞台でも、その相撲は全く色褪せない。あの出足は今にも土俵の砂が舞うような、車のエンジンが搭載されているのではないかというくらい激しかった。結局個人戦3位で終わっていたが、馬力は間違いなく高校ナンバーワンだった。
そういった名選手達の活躍を目に焼き付け、京都を後にし、再び10時間かけて山形へ帰った。試合で負けたし、疲れは倍にもなった。インターハイの試合を見ていて、自分の実力の不甲斐なさにいてもたってもいられず、夏季休暇中に山形にくる駒沢大学の合宿に参加させてほしいと監督に直訴した。高校生活の限られた時間の中でレベルアップさせるにはとにかく積極的に稽古するしかない。無謀とも思える大学生との稽古にいよいよ乗り込んでいく。
結局山形に到着したのは夜中だった、途中のコンビニで買った冷やし中華の味がこれでもかというくらい美味かった。