前回の投稿からしばらく経ってしまった。2026年が始まったので、明けましておめでとうございますと申し上げておこう。コンスタントにブログを書いていたが、プライベート上書けなくていた。皆さんならどう考えるだろうか?致し方ないと考えるだろうか?ストイックすぎると疲れるとか思われるかも知れない。しかし、私は然るべき年越しを敢行し、新たな決意を胸に秘め、コツコツやろうと志したのだ。そういった目標のペースを崩されることが一番疲れるし、体調を崩す。他人のために尽くすという行為は、昔は美徳とされ日本人の誇りとされてきたのだろうが、今やそれは自らの肉体・魂を削り取る愚行となってしまった。
道徳教育というものは完全なる偽物である、男たるものの力をそぎ落とし、胆力を無きものにしてしまった。なんとかあがいて、この負の連鎖を食い止められないか苦心したが、もはや手遅れである。よく、約束を守らない人間は落ちていくなどと言われる。私もその通りだと思うし、約束を守ることを実践してきた。特に偉いことをしているとは思わない、当然のことだと思うがそんな自分を我ながら誇りに思う。この一つの行為が全てに繋がる、一事が万事きちっとしていれば、生活も豊かになっていくと信じていた。しかし、約束は守らない人間でも収入は増え、何不自由ない生活を送っている人間も確かに存在する。歪んだ社会国家において、正しき行いはむしろ不幸に身を落とす。もし本気で「お幸持ち」を目指すなら、それまでの美徳をひっくり返し、毒饅頭でも食べないと滅んでしまうだろう。
私はよく疲れるとイライラすると言われる、それもあながち間違いではないが100%の答えではない。疲れまでは正気を保てる、その疲れに対する見返り・評価次第で精神に響いてくる。今、なぜ離職者が増えるのか、なぜ飲食店が潰れるのか考えてほしい。労働=疲労に対する対価が得られないからだ。見合った収入があればいくらだって働ける、それが日本人だ。普段の生活においても、全て一人に負担がかかれば大変である。そこを助け合ってこそ支え合いである、その時だけの口先だけの感謝でどうにでもなるものではない。形あるものでなくても敬意さえあればよいのではないか?最低限約束は守るとかないと、正直参る。
精神を超えると肉体にくる、自分の体のウィークポイントに激痛がくる。私の場合腰である。この年末年始は、他人のために尽くし、そして自分のポリシーを崩され、精神を病み、肉体が壊れた。悪夢までみる、自分が一番大事なのだと気付かされた。
