見た目

人を見た目で判断してはいけない、心の中を見よという哲学が日本にはある、もとい、正確にはあった。しかし、最近はありのままなんていうのはありえない。普段通り、公の場にでるというのはデリカシーがない。やはり、それなりの身なりに整えなくてはという。そのこと自体は否定しない、極端かもしれないがその場その場の服装や髪型などには気を遣わなくてはいけない。しかし、現代人の解釈はよほど正道から外れてしまった。極端すぎて、日本人はアホン人ですと知らしめている。

電車に乗るのに、寝巻きの延長のような格好をした人間。家から出てくるなと言いたい。髪型も、なぜ色を染めるのか・・、やはり欧米の文化に憧れているのだろうか?日本人には、日本人に合った髪型・色があるのにまだわからない。欧米には似合っても日本には似合わない、いくら背伸びしても土俵が違うのだから敵わないのだというのがどうあってもわからないのだなと知能の低さを物語っている。明るい髪色にしてる若い女を見ると乞食か山姥にしか見えない、やるのは勝手だが裸の王様と化していることを理解していただきたい。

その一方で、ものすごく見た目を整えている御仁もいる。男女揃って文句のつけようのない身なりをしている、香りまで気を遣ってパーフェクトを超えた120点満点だろう。ただし、あくまで外見だけである。いくら見た目を取り繕っても、中身までは隠せないようだ。カフェなどで、マナーモードもせず、平気で電話しているもの。落ち着きなく貧乏ゆすりなどもするし、荷物など物音を立てて動かして周りの迷惑などお構いなし。オーダーする時など、イヤホンつけたまま。いらっしゃいませとお客を歓迎し、丁寧に注文を聞いてくれる店員に対して無礼であるという恥を知らない。

トドメは会話だろう、声は大きい。カフェは色んな目的でくるお客がいる、友達同士楽しく話したい、大事な商談をしたい、普段の雑踏から解放され静かに過ごしたい。それぞれが快適に過ごすように努めるのが人間同士だ、それは呼吸しているように、自然とできているのが普通なのだが、もうそんな力は日本人にはない。

私も自分の今世の努めをいい加減終わりにしたいと何度も思う、過去の愚か者達のつけを払わせられる道理はないからだ。しかし、世の中捨てたものじゃなく、素晴らしい人達も存在していることは認めざるをえない。確率でいえば、100人に2〜3人だが、それも事実だからまだ終われないのだ。