泣き声

電車に乗っていると、赤ん坊の泣き声をよく聞く。赤ちゃんは、言葉が喋れないので泣き声で自己主張をする。自分を守ってくれる存在である唯一の方法なのだが・・・。最近の子供の泣き声といったら異常に感じるのは自分だけだろうか?泣き叫ぶを通り越えて阿鼻叫喚の如く奇声を発する。赤ん坊の泣き声は魔除けになると聞いたことがあり、私自身力士時分の頃には赤子の泣き声など聞こえてきたもんなら、めっけもんとばかり耳を傾けていた。縁起を担ぐ相撲取りの習性だろう、目一杯泣き叫ぶその声には、元気がみなぎっていた。

しかし、今の子供は違う。邪気を払ってくれるどころか、呼び寄せるような耳障りな声。ホラー映画の悪魔に襲われる少女も真っ青なストレスがたまる周波数である。私は極力気にしないように、なるべく声の主の方は見ないようにしてきたが、度が過ぎればやはりついつい見てしまう。そして奇声を発する子どもたちに共通するあることがわかってきた。それは、親がスマホを見て子供を放置しているのだ。

赤ちゃんだもの、仕方ないよ。当然であるが、それを思うのは周りの人間である。身内ではない、たとえそう思っても、公共という空間に踏み入れたらなんとかしなければいけないのが親である。ところがさも迷惑をかけるのは当たり前、自分は関係ないといわんばかりに周りも自分の子供も無視してネットサーフィンに興ずる。これで親子の絆が深まるのだろうか?

アカの他人だが、他人にあらず。次世代を担う子ども達が心配でならない。