ぶつかり稽古

相撲の稽古の中で、フィナーレを飾る。その日一日の締めくくりとして、最後の仕上げ、一絞り、追い込みと表現すればいいにか。基礎から始まって、実践的な相撲を取る稽古を行い、体力も使い果たしたかくらいのところで、もう一踏ん張りして、心理的限界を超え、生理的限界まで持っていく。このぶつかり稽古なくして相撲は強くなれない、心と體を同時に鍛えることができる荒業である。

内容はどんなものか?相手の胸にぶつかって押していく、土俵から押し出したら踵を返して今度は反対方向に押していく。この単純な動きであるが、残り僅かなパワーしか残っていない状態で行うのは容易ではない。体が言うことを聞かず、動きが止まってしまう。そうすると転がされて倒れる、すかさず首根っこを押さえ付けられ、そのまま中腰で歩く(すり足)のだが、みぞおちが圧迫され呼吸ができなくなってくる。そしてまた立ち上がって押して、転がされて、首根っこ押さえつけられを繰り返し、最後は息も絶え絶え、髷は乱れ、全身砂だらけになる。これでその日の稽古を終える。

ただこの稽古も匙加減一つでどうにでもなる、やる気もあり将来を期待されてる力士は毎日のようにこの稽古が課せられる。特にやる気のない人間や、怪我してる場合には軽めにやる。だらしない稽古をしただの、普段の生活で問題を起こしり、兄弟子に目をつけられると、「かわいがり」と称する、しごきの要素を含んだぶつかり稽古が待っている。先述の内容に加え、手が出る、口に塩を入れられる、砂を入れられるなどである。当然今の時代はやらない、できない。

「かわいがり」の部分はなしにして、近年このぶつかり稽古が非常に少なくなってしまった。合理的思考とでもいうのか、きつい思いをするより効率化を求めてしまっている。一見無造作のような稽古に見えるが、実に様々な要素を含んでいるのだ。押していくのは馬力がつく、転がされるのは受け身が取れるようになり怪我のリスクを減らせるようになる。首を引っ張られながら歩くことで強靭な足腰になり、叩きや引き技にかかりにくくなる。

しかし肝心なのはここではない、私だけが気づいていることだが、息が上がった状態で行うことで、本場所の取り組みの時の緊張して心拍数が上がっている時のシュミレーションになるのだ。大相撲は15日間もある、一日一番しか取らないが大勢の目の前でスポットライトを浴びて戦うのは相当緊張する。強い力士は普段の稽古で同じような状況を体感している、だから好成績を残すのだ