かつて小さい体ながらも「技のデパート」と言われるくらい大活躍した現在の大相撲解説者。100kgも満たない体でなぜ三役まで上がれたのか私なりに考えて行き着いたことをここで話したい。
まずもって見た目とは違い、アマチュア相撲ではエリートコースを歩んできた。青森の木造高校→日大相撲部というのは、限られた人でないと歩めない知る人ぞ知る実力者の相撲人生の流れである。そして層の厚い日大相撲部において、レギュラーを勝ち取った強者なのだ。
問題はここから!大学相撲の世界でなぜあれだけ活躍できたのか?入門前のエピソードで色々と語り継がれてる部分はある、元々は教員採用が決まっていた。ふふふ、実は私の母校である山形の加茂水産高校に赴任することが決まっていた。もし、教員になっていたら舞の海という力士は存在せず、「長尾秀平先生」として、私は薫陶を受けていたのかもしれない。平成4年の山形で行われたべにばな国体の選手要員として来ることになっていたが、そんな時に大学の後輩が亡くなり、その時自分の人生を見つめ直して、悔いのないようにチャレンジしたいということで、急遽大相撲入りを決めたのだ。
余談だが、教員の採用を急遽ドタキャンしたことを私の高校の相撲部の古参の監督はプンプンしてましたね。なのに、旅番組で高校を訪問するということになった時は、相撲部の人数が元々少ないので華やかさを出すために地区のOBをかき集め活気に溢れたように演出し、テレビの前では満面の笑みで歓迎しておりました。田舎の人はテレビ大好きなんです(笑)。
入門に際しては、身長が足りず一回検査に落ちて、今度は頭にシリコン入れて、しかもその手術の前の晩に前祝いと称して酒盛りをしたがために当日麻酔が効かず死ぬ思いをしたりと、まるで後の活躍を予見するかのように数々のエピソードを作っていった。
大相撲の世界で、小さい体で活躍するということは難しい。体格・体力面でハンデがあるからということも確かにある、しかし、1番の理由として小さい体で戦う技術を教えるくらいの名将がいないということだ。体の大きさなど関係なく、全員が同じように「押せ」「前に出ろ」「足を出せ」「引くな」「叩くな」「頭で当たれ」「下がるな」「マワシ取るな」「投げるな」と指導される。そして、この教えに背けば、制裁まがいの長時間見せしめのように延々と相撲を取らされる。疲れる上に、思い通りの相撲を取らせてもらえないがために、思考力も低下、無論やる気もなくなる。
舞の海さんの現役時代を振り返る話で気になることがあった。「稽古は自主性に任せてもらっていました。」・・・。なんと、当時の出羽海親方(元・横綱佐田の山)はそうなことをおっしゃられていたのだ。これで、大学まで積み上げてきた技術を色褪せさせることなく、小よく大を制すことが、可能となった。指導された通りの動きしかしない大きな力士では、自由に動く小兵力士には太刀打ちできない。あっという間に十両・幕内に上がっていった。
稽古の様子も何回かテレビで見たことがある、小さい人のハンデはまず相撲を覚えられると勝てなくなってしまうこと。なので、力は全然出さず、どちらかというと相手の癖をインプットしてるような感じに見えた。そしてもう一つのハンデは、自分の軸が少しでもブレると一気に軽くなってしまうこと。例え相撲のセオリーを犯してまでも、自分という枠・テリトリーからははみ出さないように意識していたと思う。その証拠に、立ち合いは踏み込まずむしろ受け止めてさえいたほどだ。
普通のお相撲さんがあんな稽古したら、雷を落とされるだろう。一見ふざけているように見えてしまう、しかし周りからは苦笑いがこぼれていた。本人からすると大真面目な人生を懸けた闘いをしているのである。自分が生き残るための、最高のパフォーマンスをするための稽古。そして、それを許す、認めさせるための空気作り、世間一般で言われる、ただきつい稽古を課せられたのを耐えて耐えて体をイジメ抜く努力ではなく、自分の創意工夫の鍛錬の場を作り上げた。これは純粋な子供が何も考えず、川で遊んだり、木に登ったりするのと同じ。本能のまま自分の好きなことに没頭する「努力をしない努力」最先端なのである。
猫騙しなんて、本当見ていて楽しい。けれどもこの技というか攻め方は、既に故伊東勝人元近畿大学相撲部監督が大学相撲で使っている。それは、周防正行監督の映画「シコふんじゃった。」の中で竹中直人さんのセリフでも出てくる。
自分の体を一つの会社として、経営者となり、発展させていくのがプロのアスリートだと聞かされたことがある。確かにそうかもしれない、相撲のことを一切知らずに入門してきた子は、最初は基本から教えないといけないが、やがて自分のスタイルが見えてくる頃には、これだけではまずいのでは?武術の世界にある「守・破・離」という言葉がある。教えを守り、その後教えとは違う自分の動きを実践し、最後は完全にオリジナルを作り上げ考えを独立する。教える側、教わる側双方がはじめからこれを意識していれば、きっと個性溢れる土俵を沸かす力士が現れると思う。