琴剣さんへ捧げる。

それは突然のことだった、今年の3月26日に琴剣さん(本名 宮田登さん)が亡くなられた。まだ60歳、還暦になったばかりである。しばらくお会い出来ずにいたが、いつもお元気そうだったので信じられなかったし、今までその事実を受け入れるのも嫌であった。時が経つにつれてようやくその事実を受け入れ、今回ブログで書かせていただく。

私と琴剣さんとのご縁は、直接的でないならば、はるか昔中学3年生の時平成8年に遡る。相撲の試合で両国を訪れ、お土産屋さんに立ち寄った時ふと置いてあった絵本が琴剣さんの描いた作品「おすもうさん」であった。文字通りお相撲さんの日常を描いたもので、絵の雰囲気が優しく、とてもわかりやすくて、相撲の世界がリアルに感じ取れる作品だった。この時は買わなかったが、後々手に入れることが出来、高校行くか、大相撲の世界に進もうか迷っていたあの時は、毎日のように絵本を眺めていた。

大相撲の世界に入ってからというもの、遠目からお見かけすることはあったし、すれ違えば挨拶するようにはしてたが、じっくり話すことはなかった。一門も違うし、なかなか接点がなかったのである。現役生活も半ばを過ぎた頃、肘の手術を千葉の船橋の病院で行ったが、そこは琴剣さんも通ってる病院であった。それがきっかけで、会えば前より話しかけて下さるようになった。体が大きいし、ごついし見た目だけでは怖い。しかも天下の佐渡ケ嶽部屋OBと身構えていたものだが、とても優しくていつもニコニコしていた。柔らかく包み込んでくれるような雰囲気で、いつも琴剣さんのまわりには人が集まっていたものである。

引退を決めた時も「お疲れ様でした、私に何かお手伝いできることがあればおっしゃってくださいね。」とお声をかけてくださった。本当なら似顔絵をあしらったグッズの引き出物を作っていただこうとも考えていたのだが、その時は願いは叶わなかった。しばらくしてまたふとお会いする機会があった。特別なことは話さなかったが、とにかく琴剣さんの明るい笑顔に心がホッとした。そして、結婚を控えていた私は、琴剣さんに結婚式の絵を描いていただこうと思いついた。私と妻は、髷がついてる時に一緒に撮った写真が存在しなかったので、まだ力士である自分と妻が一緒の絵をお願いしたところ快く引き受けて下さった。

お忙しい身であっただろうにお願いしてから間もなく絵が完成し送られてきた、とても素敵で感動した。琴剣さんに自分の絵を描いていただくという夢、そして現実には不可能となっていたが、妻と現役時代の私が一緒にいるという二つの夢が同時に叶ったとても贅沢なものを描いていただいた。そして、畏多くも「これは結婚祝いのプレゼントです。」とおっしゃっていただいた。優しくて、粋で本当に素晴らしい方だった。結婚披露宴の当日も、入り口の目立つところに飾らせていただいた、その絵があるだけで一段と場が華やいでいた。

結婚式も無事終わり、メールや電話でのお礼はしていたものの、きちんとしたお礼をしなければと思っていた矢先、コロナウィルスが世に出始め、直接お会い出来ず、その機会をうかがっている時にお亡くなりになってしまった。本当に残念としか言いようがない、現役時代膝を交えてゆっくり話すことができなかったので、これから色んな話を聞こうとしていたのに・・。しかしいつまでもその死を引きずっていては故人も浮かばれない。琴剣さんと少しでもお話しできたこと、そして絵を描いてもらったことを誇りにこれからも頑張っていきたい。

亡くなった時に哀悼の意を表すことが出来ず、大変ご無礼なことをしてしまったが、今あらためて琴剣さんに感謝の気持ちを伝えたい。本当にありがとうございました、向こうの世界でも大好きな絵を描いて皆さんに夢と感動を与えてください!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です