トイレ掃除はトレーニング

 これほど社会を反映してる世界はないと思う、家でのトイレという存在は1日たりとも同じということはない。毎日トイレ掃除を続けているとわかってくる、1日でも掃除しない日があると感覚が鈍るというか、要領よく出来なくなる。とんでもない汚れがあるかと思えば、気合い入れたかと思うと妙に綺麗なままだったり、ちゃんとやったつもりなのに、床には埃がまだたくさんあったり。

思い通りにいかないところが人生そのもののように思える、予測できないことが起こることで気持ちが乱れ、怒ったりすることがある。なので、トイレ掃除を習慣化すると、そういった問題も解消できると聞いたことがある。トイレ掃除をすれば縁起がいいとか、徳を積むとかあるけど、そんなスピリチュアルなことだけでなく、理にかなってるのだなとつくづく感じさせられた。

 私は短気だが、幾分マシになった(ような気がする)。トイレをはじめとして掃除というものが嫌いでたまらなかったし、相撲やってる時はとにかくそういった類はやらなかった。もし、真面目にやっていたら今とは違った人生になっていたかもしれない。今更引き返せないが、相撲人生で後悔するとしたら掃除をちゃんとしなかったということに尽きる。

 もし次世代の子達で、成功者になりたいという人がいたらしっかり掃除の大切さを教えてあげたいね。それは、神様が見てるからとかだけでなく、いかに社会での立ち振る舞いに直結しているか、お金のかかるセミナーなんか行くよりもずっと効果的であるということを。科学的に説明できれば誰もが納得してくれることだろう。

 掃除は運気を上げるというが、目に見えない存在なので私では説明できない。しかし、根気は上げてくれる。毎回展開は変わるし、複雑な形の場所をなぞってやっていく。床を拭く時なんかしゃがむわけだからいいトレーニングになる。そして、やる順番によってかかる時間が大幅に変わるので脳みそを最大限に使う。

 脳も体も目一杯使うわけだから、これほど人にとって理にかなってるものはない。トレーニングがしんどいなぁ、やりたくないなぁなんていう時は掃除をいつもより多めにやるだけで、元が取れる気がする。

 ダイエットにも効果的だ、それは掃除で体を動かすという意味ではない。家という空間で動くくらいだから消費するカロリーなんかはたかが知れてる。じゃなくて、複雑な動きを強いられる掃除という行動にとって栄養過多で重たい体は負担になる。だから、掃除を楽にできるように必然的に食べすぎなくなる。自分の体にはどのくらい食べればいいのだろう?という感覚が養われる。

 外出した時のマナーなんかもよくなる、掃除の大変さがわかれば飲食店でもきちんと汚さないように心掛けるようになるだろう。決して目立たないし、気付いてもらえず、褒められないけれども、掃除している人の気持ちがわかるので自然とできるようになる。

 これだけメリットのある行動である、デメリットなんてごくわずかだ。多少汚れる、時間が少々かかるだけ。十分元は取れる、ぜひオススメする。やはり排泄という行為を受け止めてくれるトイレを中心にするのがベストだと思う。最初一番抵抗あると思う、ハードルが高い分そこを中心に行えば、他は怖くない。

 掃除は自信がつく、しかし自慢にはならない。なぜなら自分を犠牲にしてるわけではなく、自分が生きていく上で少しでも楽になるための訓練だからだ。己のためにやってるのに、それをおっ広げにしたところで誰も面白いとも思わないし、興味を示さない。

しかし不思議なもので、一番身近に楽になれる処世術が存在するのに、気付かない。灯台下暗しとはこのことか。高い金払うセミナーやら、書籍などもったいないね。少し話がズレるが、かつて宜保愛子さんという自称霊能力者がおられたが、トイレは家の中でも低いレベルの空間だと言っていた。これは自分でインチキ霊能者と曝け出してるようやものだ、他人の汚いものを受け止めてくれる存在が低いレベルなわけがない。

 昔はオカルト番組が流行っていて、それに乗っかったビジネスが横行していた。おかげで私はオバケが怖いというトラウマになってしまったではないか、最近YouTubeではオカルト番組のやらせを暴露してるのが多くなった。トイレをはじめとした掃除をしてれば、本物も見抜けれるのかもしれない。

 

 

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