体が思うように動かないということ。

 毎日生活していると、必ず体が思うように動かない日がある。とても疲れて、重たく感じる。普段できることができなくなる、初歩的なミスをしてしまう。そんな日は決まってなんで普段通りできないのだろうと憤り、なんとか普段の動きができるよう頑張ろうとする。しかし、やろうとすればするほど出来ず、それが段々怒りに変わる。本当ならば人間なんて一年365日同じ体調の日なんてないのに、ちょっといつもと違うだけで、しかも良からぬ方の体調の時は、動揺してしまう。これがスピリチュアルの世界に傾倒してしまうと、ご先祖様の供養がなっていないだとか、普段の行いがよくないだとか、住んでる場所が悪いだとか言われ、すっかり信じ込んでしまい抜け出せなくなる、これは厄介極まりない。

 先日、ここ数年お世話になっている方の治療へ行ってきたのだが、今までとはひと味違う治療を受けることができた。長年相撲という勝負の世界にいたので、努力なくして強くなれず、日々向上という気持ちでやっていた。しかし、ある程度までいくと壁に跳ね返されてしまう。それはまるで無理がたたり、自分の奥底の存在がブレーキをかけている様な感覚だった。努力が足りないから、根性が足りないから、だからブレーキのリミッターが解除されるまでひたすら己の研鑽を磨くよう、体と心に鞭を打つように過ごしてきたのだが、40歳を越えてようやくそういう若気の至りのような考えから脱却しかけてたところだった。治療の前に色々と話をする、自分の近況などを話したりするのだが、体の気になる部分のことを相談した。そしたら、気になる部分のところだけ考えていませんか?と言われた。なんでこうなるんだ、現役時代痛めたところだからまた痛みがぶり返すんじゃないか、痛いところをなんでこうなるんだと否定的に考えてないだろうかと、ざっとこう並べただけでもマイナス的な考えばかりが頭をよぎっていた。先日のブログでこの世には良いも悪いもないと書いたけれど、もう一つそれになりきれていなかった。痛いのが嫌だから、弱るのが嫌だから、歪むのが嫌だから、衰えるのが嫌だから、自分という体の声に耳を傾けず、ひたすら鞭を打っていたことに気付かされた。

 相撲という激しくぶつかり合う世界だから、体は当然痛める。そうやって頑張ってきた体を今までいたわってきただろうか?自分のために酷使してくれた体である、感謝の気持ちの一つくらい持つべきであった。とまぁこんな話をしていたら、それまで気になっていた体の部分がスーッと楽になったようだった。これで治療に向かうスタンバイが完了し、今までで一番いい治療を受けれた。おかげさまで治療の数時間後から好転反応で、痛みが現れ、翌日は体が重くなった次第だ。普段通り動けない、それでいい。今は体が更に強くなる準備段階に入ってるんだと確信した、本当ならそんなことわかっているはずなのに、今の世の中資本主義の世界ではどうしても盲目になってしまうのだろうか?何せ毎日同じように仕事をこなさなければいけないから、無理矢理自分の体を引っ張り上げなければいけない。そういったことが精神の歪みに繋がっているのではないだろうか?

 いかに毎日好調をキープして精度の高い動きをするかより、いかに毎日自分という枠からはみ出さず世の周りに順応していくかという考えに少しずつ移行している。それにより、喜怒哀楽という様々な感情が、平穏で常に一定の心の状態になれるのではないかと思う。あがいて、反発してガチガチに過ごすより、柔らかく今の状態を受け入れて臨機応変に動いていくことでより生活が過ごしやすくなる。過ごしやすくなればストレスはなくなる、道が開けてくるだろう。生きてるだけで丸儲けではないけれど、生きるというだけで人は十分なのではないだろうか?いつからこんなに求められ、自ら求めるようになってしまったのか?

 三日坊主なんて言葉があるけれど、別にいいのではないだろうか?自然界に目を向ければ、ずっと同じ天気など存在しないし、大地に根づいた木々なんて、同じ形などしていない。ほんの数メートル違う場所にあるだけで日当たり加減が変わり、育ち方に差が出る。雨が降ろうが、強風で倒されても文句一つ言わない。なぜなら全て受け入れているから、寒くなれば枯れ、暖かくなるほどに芽吹いてくる。こういうことから人は今一度学ぶべきだろう、相撲術もそうである。重たい体を無理に動かそうとすれば、感情が上ずって丹田の意識が横隔膜に移動してくる。だから、意識がお腹周りから外れないように動ける範囲でしか動かない。これぞ周りに合わせるのではなく、自分に合わせるということ。自分の体を保てば心も保てる、心が保てれば外からの刺激には冷静に対処できる。疲れているときなどのアクシデントなどは、通常の時の倍はストレスがかかるし、最初はやはり動揺するし、怒りなど負の感情も起こる。これさえも自然に受け入れ、あとは湧き上がってくる意識を元の位置に戻してあげるだけ。一瞬で先程までの負のオーラはなんだったんだろうというくらいになる。

ただ受け入れるというだけで、人間は幅がグンと変わる。困難なことでさえ、どういう展開になっていくんだろうとまるで怖いもの見たさに興味が湧いてくる。なんとかしようなんとかしようとしていた時というのは、不安で不安で仕方なく、弱かったのだろう。声を荒げる、怒鳴り散らすなんて人は実は弱いのかもしれない。

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