自伝 その26

高校一年生の夏、インターハイが終わった後、山形に来ていた駒沢大学の合宿に参加し、そのあとは今度は自分の高校に東京大学相撲部さんが合宿にやってきた。これは、高校相撲部の監督が駒沢OBで、その時大学監督を務めていた荻野さんという方が、東大相撲部のコーチをされていたからだ。当時の東大相撲部さんは、CクラスからBクラスに昇格し勢いがあった。かといって大学相撲界の第一線で活躍しているところほどの実力はなく、正直舐めていた部分はあった。しかし、高校一年生の私にはかなりみなさん手強い相手だった。

さすがは日本の最高学府におられる皆さん、相撲を理論的に考え工夫する様は新鮮に映った。苦しい基礎を淡々とこなし耐えるというだけでなく、積極的に色々な技を試したり教えあったりしている。部活というかサークル活動というか、とにかく皆さんがいきいきとしておられた。

事前に相撲部さんの情報は入っていた、当時のニュース番組で特集されていたのをみたからだ。試合で監督が一生懸命にある選手にアドバイスをしている。「いいか、立ち合い当たって、頭をつけて・・」と言ってるところへその学生は「いえ、逃げます!」と食い気味に言っていた。こんなことありえなかったので面白く印象に残っていた。その逃げると言った人ともちろん稽古したのだが、めちゃくちゃ強い!逃げる必要ねえじゃん、体も大きいし、東大相撲部の中でも1,2を争う実力だった。

あとものすごく変わってる人もいた、ほとんどの人は皆団体行動でおんなじ日に合宿に来たが、一人だけ青春18キップで来てる人がいた。何回も浪人してやっと合格したそうで、歳はだいぶ上の方だった。稽古が終わって、昼に学校のプールでみんなでわいわい遊んでいる時は、一人だけずっと泳いでいた。疲れてなかったのだろうか?夜はパンツ一丁で何もかけずに寝てるし・・。暑い夏とはいえ、海のそばの合宿所は朝晩は涼しい。それでも風邪一つ引かず最後まで合宿を務めあげていた。最終日の帰る日も、やはり一人だけ早朝に合宿所を後にしていたが、私の枕元にはお礼の手紙が置いてあった。ほとんど会話もなくどちらかというと近寄り難い存在だったのだが、こんな粋なことをしてくれとは思わなかった。

校内合宿は何回もやってるが、大勢が大挙して訪れる合宿は初めてだったのでとにかく大変だった。しかも、上級生が理由をつけてサボったため教えてくれる人がいない。稽古より雑用が大変だったが、こういう時に顔を出してくれたOBには助けられた。飲食をやってる方は料理の手際がいい。目の前にある材料でちゃちゃっと作ってくれる、それで少し気が紛れた。夜みんなが寝静まり、耳を澄ますと海のさざ波の音が心地よかった。

東大相撲部さんとは、今日までお世話になっている。現役時代も何回か駒場にある稽古場に行かせていただいたし、断髪式にもたくさんの方に鋏をいれていただいた。相撲というものがなければ、東大という存在とまず関わることはなかっただろう。このご縁には本当に感謝している

さて、今思い出しても高校一年生の夏は相撲で終わった。かといって暇だったとしても遊ぶことはない、普段から稽古しかしない人間に息抜きの方法など寝ることしかないのだ。遊び慣れていないといざというときにどうすればいいかわからない。東京ならまだしも、山形の田舎など遊び場などないのだ。ここでこんなこぼしても仕方ないが、自分が飛躍するきっかけとなった大会が近付いていた。それはまた次の機会に。

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