豊ノ島問題について

まずは新年明けましておめでとうございます。2023年がスタートしたわけだが、相変わらず大相撲の世界は暗い話題が蔓延っており、しっくりきてない。そんな中一月場所もスタートし、熱狂的なお客さんが来てくれる。声を出しての応援も再開されたせいもあるだろう、久々に活気は感じる。相撲内容に反し、こうして沢山の客、沢山の懸賞金が出されるのは世間が菩薩様のようにしか見えない。私だけだろうか?いつまで世間様がこうして大相撲を好きでいてくれるだろうかという不安がつきまとって仕方ない。何せ自分が現役時代の時というのは、貴乃花という偉大な存在が引退し、モンゴルが席巻し始め、野球賭博、死亡事件、八百長と、著しく相撲人気が低下した時代だった。大相撲の市民権が崩壊したのである。

一生懸命やってた人間からするとあんな馬鹿馬鹿しいことはない。お客も入らない、そんな時代を経験してるからこそ、今の人気が安泰なんてことは心底考えられない。こういう状況の中、タイトルのような事件というか、出来事が起こった。賛否両論というか世間的には、圧倒的に貴重な人材を失ったという声が多かった。外側から見ればやはりそんな感じなのだろうなと冷静に見た。しかしよくよく考えて欲しい、豊ノ島が部屋付きとして在籍した時津風部屋は現在どんな感じだろう?正代は大関から落ち、豊山は引退して協会から去った。部屋付きとして後進の指導を全うしたとは思えない。客観的に見て、指導者としての力はないわけだ。

再雇用として残っている親方衆よりはマシだけど、仮に協会残っても、グッズ販売や親方ちゃんねるでの活躍以外には特に功績を残すことはないだろう。高校相撲から角界に飛び込んできた、琴奨菊とライバルという形で何かと話題を集めていたが、高校時代の実績はほぼない。中学までは日本一になっていたから申し分ない、高校一年まではすごかった印象はある。巡り合わせというか、稽古相手がいなかったのだろう。中学と高校で一回ずつ対戦してるが、どちらも私が勝っている。学年が二つも離れているのだから、参考にはならないし、なんの自慢にもならい。

彼の残念なところは、たとえ大相撲の世界に一足早く入ったとはいえ、一度は高校相撲という世界にいた身。中卒の世間知らずとは違いある程度教養は身に付けているし、一瞬でも私は二学年上にいた立場なのだからその辺は考えてくれるかなと思ったが、一から十まで「兄弟子」であった。対極的だったのは琴奨菊だった。こちらは敬語で接してくれていた、義理も義務もないなかでいやいや恐れ入ったと思っていたのだが・・・。

大阪で佐渡ヶ嶽部屋に出稽古に行ったときのこと、琴奨菊の高校の同級生のHという人間が稽古を見に来ていた。Hは、私の大学の後輩に当たる。金銭的にだらしのなかったHを叱責したことがあるのが、それを根に持っていたらしい。Hの目の前で琴奨菊は私を稽古場の羽目板に何回も叩きつけてきた。数日出稽古に行ったが、このような行為はHが来た一日だけ。つまり稽古の一つではなく、ただの見せしめのために叩きつけられたことになる。

これに関して恨みも何もないが、この直後に琴奨菊は大関から陥落した。そういった人間性は結果として出るのだなと感じた。この世代は、相撲界も取り巻きもまともなのはいないだろう。そもそもタニマチと呼ばれるスポンサー的存在な人間は本当に困っている時に助ける存在とは思えない。もし、確固たる信頼関係で結ばれているのなら、豊ノ島が金銭的に困っている時に手を差し伸べるだろう。引退するときも退職する時も悩む必要はなかった、単に空いてる年寄名跡がなかったのではなくやはり金なのだ。タニマチは有名な力士を連れて歩いて、自分のステイタスをあげているに過ぎない。専ら、今の時代力士の知名度も下がり、景気の悪さも相まって、あんまり連れて歩くのも少なくなったのではないだろうか?よく食うし、お車代なんていう名目で、別にご祝儀渡すんだから、相当な出費だ。寄付する覚悟くらいないと相撲取りとなんか付き合えない、やはり底には何かメリットがないと成立しないのだ。

いい人材が必要である。それは現役力士に限ったことではない、指導者がである。相撲が強くなりたい、相撲でドリームを叶えたい人間はたくさんいる。そんな大きな思いを受け止められる人間がいないということだ。指導力でいうと大学相撲>大相撲である。せっかく少しづつ心技体を極めようと、最高峰と思われる大相撲に飛び込んでも実際何も教えてもらえない。真の相撲最高機関ではなく、ただ単に日本で唯一公益財団法人として認可を受けた組織に過ぎないのだ。もしここでかつての春秋園事件のように別の相撲組織ができたら大変である。

まあそこまで危険なリスクを背負う人間もいないし、相撲にメリットもないが・・・。私も忙しすぎてブログもずっと書いていなかった、この際しばらく静観しようと黙ってきたが、着実に大相撲の社会的価値観は下がった。価値を戻すのは簡単である、稽古しかない。筋力トレーニングなんて踏み込めないくらいの世界を作らないと、力士ではなくただのでかいアスリートに成り下がる。そして、怪我だらけの大関・横綱になれない、優勝できない、長期で闘えない人間であふれかえるだろう。

 

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