貴闘力関と私の接点

 11月場所も佳境に入ったが、やはりフタを開けてみれば照ノ富士が優勝争いのトップであった。誰でも予想が出来るこの展開に、もはやブログでどうこう展望しても仕方ない。あ、一つ言っておきますが、相撲がつまらないからブログ更新しなかったわけではありませんよ、まだハッキリは言えませんが.OfficeOōiwatoの事業の方がおかげさまで忙しくなってきたからです。ブログも仕事の一つだからやらなくてはいけないのだけれども、気持ちが乗らないとなかなか書けるものではありません。

さて、題名の通り今YouTubeで話題になっております貴闘力さんについて触れたいと思う。文字通り私との接点についてだが、全くなかったわけではない。平成16年に入門し、部屋の関取の付け人を務めていた時、幕内土俵入りの時花道の奥でタオルを持って立っていた時だった。当時大嶽親方だった力関は、いつも土俵入りをする力士と談笑しにやってきていた。たぶんギャンブルの話だろう、そして私と目が合った瞬間「似てるなぁ」と笑いながら話しかけてきた。いやいや、いきなりだし主語もないし、なんのことやらと思っていたら、今の二子山親方である雅山関のところにいき、「おい、お前と似てるぞ!」と言うではないか。なんと、雅関と似ていたらしいのだ。普通ならどう考えても似てないが、その時は目を痛め紫色に腫れあがっていたので似てなくもなかった。雅関がとんとん拍子で出世していったとき、髷も結えないザンバラ髪の風貌が、新弟子時代の私と余計に似ていたのかもしれない。

 この時点で私は雅関に対し、何も非礼なことはしていない。しかし、似てると言われ癇に障ったのだろうか?その後はなんか機嫌が悪い素振りを見せられた。しかも、後々雑誌の編集者のここだけの話コーナーみたいなところにそのネタが書いてあり、雅関はショックだったらしい。今だから言わせてもらうが、オレもショックだったわ(笑)。

 しかも、その後出稽古先や巡業では可愛がりの洗礼も受けた。力関の何気ない行動がここまでのことになっていたなんて本人は知るよしもないだろう。二子山親方とは、引退したあと一回会ったが、特に何のわだかまりもない。だいぶ前の話をいまだに根に持っているようじゃ部屋経営なんて出来ないだろうし、いい歳なんだから当たり前だけどね。しかもおれ何も悪いことしてないし。

 会話らしい会話でもなかったが、それしか力関との接点はなかった。その後は皆さんも知るところの野球賭博で角界を去っていってしまった。さあいつまで相撲協会の悪口を言ってるのだろうか?そんなこと言わないで昔の稽古の様子や、一番きつかった稽古内容などを教えてほしい。だいたい今の相撲協会の体制を批判しているけど、自分自身が親方として協会いた時どうしてた?って話だよ。大嶽部屋も弟子はそんなにいなかったよ、特に出世してるのも露鵬しかいなかったしね。露鵬は大鵬親方の弟子だから。

 支度部屋にもしょっちゅう出入りしてた、これから取組あるっていう力士に話しかけにきてるの。相撲のアドバイスかなと思ってたけど、ひそひそ笑いながら話してるんだからその時もやはりギャンブルの話だろうな。

 天は二物を与えないとでもいうのだろうか?そういった一方で独自のトレーニング理論ももっている人だったよ。先程の雅関も力関から教えてもらったらしい足にゴムバンドを引っ掛けてすり足をやっていた。そうすると出足がすこぶる違うらしい、ギャンブルさえなければ貴闘力関は名指導者になるのは間違いなかっただろうな。

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