逸ノ城の問題について

逸ノ城が一月場所を休場した。これは謹慎ととらえてよろしい、そのわけはコロナ禍でありながら外出したからであるということのペナルティだそうだ。しかし、こんなことはあまり問題ではない。無断で外出していた相撲取りなんてごまんといる。これに関しては見つかって運が悪かったとしか言いようがない。本当の問題は、師匠の言うことを聞かなくなったとかおかみさんに手を出したということである。親方・師匠というのは絶対的な存在でなくてはならない、親同然の立場である。無論おかみさんも然り、お母さんなわけだ。何か言いたいことがあれば弁護士を通してでないと聞かないというのは舐めてるとしか言いようがない。かつての双羽黒問題と変わりはない、だとすれば逸ノ城は即刻引退しなければいけない。そのくらい大きなことだと思う普通なら。

しかし今回の処分が数場所出場停止ではなく、一場所だけというのに違和感を感じるのは私だけだろうか?師匠という立場を揺るぎないものとするためにも大英断を下さないといけなかったと思うのだが、そうじゃなということは湊親方にも問題があったということを世間に認めていることになる。何があったのかには興味はないが、師匠と弟子の関係性からすると今後の相撲界に大きな影響を及ぼす事件である。私としてはついに起こってしまったかという感覚であり、むしろ今までよく起こらなかったと思う。

世間では、大相撲の世界はとても厳しいと言われている。まぁ一般人からみればそうかもしれないが、他のスポーツに比べれば練習量も質も格段に落ちている。これは私の私見だけではない、残念ながら相撲部屋の稽古見学に訪れたことのある方々からの感想である。イメージからするとピリッとし張り詰めたような空気の中を、息を切らし髷を乱しながら懸命に明日を夢見て稽古に励む弟子たちという感じだろうか?その辺は実際見に行って肌で感じて欲しい。

では仮に現代でも昔の荒稽古を行っているとして、果たして本当にそれが厳しさであるかと言われれば、私はノーであると思う。猛稽古を課すというのは導きである、入ってくる弟子たちも馬鹿ではない。ほんのひと握りしか夢を掴めないのであればそれなりの厳しさは覚悟の上のはず。むしろ鍛錬の場があることに感謝すら芽生えるはずだ。私が社会人になって自分で独立してわかったのは、真の厳しさは自分で考え、自分で全てやらなくてはいけないということ。今の力士は大変である、教えを乞おうにもそういう存在がいないのだから。かといってそれぞれ試行錯誤していろんなことを試そうとすればいちいち注意される。教えてはもらえない、けれどダメ出しはされるのであれば、強くなろうという気持ちになれないし、そんな人間をまず尊敬できない。

これからますます稽古離れが起きてくるだろう。皆スポーツジムに通い、いわゆる名トレーナーに師事し、体のコンデション作りに勤しむであろう。筋肉を作りプロテインで最高の栄養を補給、世間でよしとされることをやればやるほど、かつての華やかな相撲はなりをひそめ、もはや単調な動きでしかなくなるだろう。そうなれば、相撲を見る人間はいなくなる。けれど相撲取りを見にくる人はいるだろうか?まるでアイドルの追っかけのように、動物園のマスコット的癒しを求めるように。

かつての神の使いかの如く認められてきた力士たちは、今やファンに歩み寄らなければいけなくなってしまった。これはやがてファンの質も悪くなる。そのうちワガママなファンが個人的感情で、SNSなどで誹謗中傷するであろう。いや、すでにもう始まっているだろうか?

そんなことに屈してはならない、絶対的な日本の国技の継承者とならなければいけない。それには、どんなことにも毅然と対応できるくらいでないと。それには稽古しかないのだ、こんだけやったんだというくらい強気でないと、日々くたくたになるまで稽古すれば、筋トレなどいらない、外出もしなくていい。余計なことはしなくなるのだ。

逸ノ城も謹慎したところで体を持て余してるのだから、禊をかねて出稽古行脚したほうがいい。そうすれば体も絞られて、また土俵で活躍できるくらいになれるのだから。放置するのは簡単だけど、そろそろ逆転の発想をしなければ、いつまでたっても変わらない。

何かを求めて門を叩いてきた若者たちの未来を作ってほしいと願うばかりである。

 

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