ノーテーピングその2

 結果的に私は番付を大きく落とし、十両から幕下に落ちた。けれども腰の痛みは引かなかった、痛みを通り越して麻痺したような感覚である。肉体的に、そして精神まで蛻の殻のようになってしまっていた。幸い知り合いの方に恵まれたこともあり、腰の痛みはなくなった。その治療は、食べることも許されずまぁ大変だったが、痛みが嘘のように少しづつ取れてきた時の嬉しさと言ったらなかった。ちなみにその治療について詳しく知りたい方は、info@ooiwato/comまでお問い合わせください。

 しかし、痛みが取れたらそれがゴールではない。今度は失った足腰の力を取り戻さなければいけなかった。その時考えたのは、同じような体の使い方では、いずれまた腰を痛めると思った。けれども、相撲のスタイルは変えることはできない。そこで考えたのは、ノーテーピングであった。文字通り体に一切のテーピングやサポーターを付けるのをやめたのである。テーピングをしないことで、局部的に負荷をかけて力を出さず、どんな動きも体全体で行い部分部分の負担を軽減するという考えである。これは、理屈では簡単なようで、中々勇気のあることだった。しかも実行したのが本場所の土俵が初めてであった。いやぁ恐かった、今でもあの感覚は忘れない。全身がピリピリと電流が流れるくらい緊張感が走っていた。

 頼れるのは、己の身一つ。痛みや怪我と常に隣り合わせの状況下に置かれると、逆に感覚が研ぎ澄まされ、集中力が増した。動物の本能的な部分が最大限に引出される感じがする。体の使い方に偏りがなくなり、怪我はめっきり減った。ノーテーピングを実行して気付いたのはテーピングに心も体ももたれかかっていたかのように頼り切っていたことである。電車で吊革につかまっている時の状態を覚えているだろうか?持つ側の手だけ意識して力を入れたら、あとは何にも考えず安心している状態だ。電車の中と土俵の上を一緒にされちゃ困ると思うが、安全であるが故に自分でバランスを取る、体全体を満遍なく使うという機能は少なからず鈍っているはずだ。だから昨今怪我が多い。怪我の予防学みたいなのが発達し、広まったおかげで、専門の先生に教わって巻いたら安心し切って、間違った体の使い方で目一杯力を出したら、そりゃ故障するわ。それでいて大型化しているから圧力も半端ないしね。

 何をしてくるかわからない、予測不能な人間を相手に戦うのが相撲だから、今一度テーピングとの付き合い方を考えなければいけない。

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