松鳳山引退

長年幕内で活躍してきた松鳳山が引退した、先場所幕下陥落が決定的になっていたのでその去就が気になったが、年齢も年齢である。もう一回幕下からのしあがるなんて気力はもはやないだろう。小さい体で幕内を張ってきたのはすごいこと、お疲れさんと言いたい。

松鳳山の存在を知ったのは、私が大学3年、向こうが一年生の時である。一年生なのに物怖じしない、負けん気知らずのきっぷのいい相撲を取っていた。その時対戦したがこちらが勝った、小さいだけあってまだ相撲が軽かった。しかし次の年から彼は化けた。東日本で準優勝したのをきっかけにブレイクしていく、再び対戦したがコテンパンにやられてしまった。彼のいた駒沢大学は、当時は選手層が厚く活気に満ち溢れていた。学生選手権の団体決勝戦も我が近畿大学と駒澤大学の対戦であった(近畿大学が勝ち26年ぶりの団体優勝を果たす)。

その後大相撲の世界で何度か対戦があったが、対戦成績では大きく負け越した。とにかくバチバチの相撲になった、お互い押し相撲だからね。あと睨み合いもした、彼の性格も知っているし、さほど怖くはなかったけど、素性も何もわからなかったらあの顔だから怖いよね。意外に声が高音で、顔とのギャップが受ける。

松鳳山の相撲人生も波瀾万丈だったなぁ、十両に上がってこれからっていう時に野球賭博を隠蔽したのがバレて、二場所謹慎の休場。しかし、その尻拭いはしっかり自分で果たしていた。復帰して二場所連続幕下優勝して、すぐに十両に復帰して、そのまま駆け上がっていった。

あれだけの実績がありながら、年寄襲名できず相撲協会を去るというのは気の毒で仕方ない気もするが、その方がいいという思いもある。確かに親方衆になれば、大して働かなくても高月給はもらえる。楽っちゃ楽だ、けれどもそれでは人間的に成長できない。60歳超えるまで狭い世界の見識しかなく、裸の王様のような人生で終わる。先日ある祝いの席で相撲協会の親方連中と一緒になることになったが、あまりにも人間的に幼稚すぎて怒りすら起こらなかった。正直私も相撲協会の親方という職業には憧れたが、今は100%それはない。自分を押し殺して忖度してまで残る世界ではない。相撲競技人口が減ったとか、コロナだとか色々理由つけて今の相撲界のレベルを語っているが、いずれバレるだろう。

歴史なんかすぐひっくり返る、親方業が安泰なんて時代さえなくなるのではないか?いや間違いなくそんな時代はなくなるだろう、ロシアが悪くアメリカが正しいなんて何の根拠もなくそう思われてるのと同じように、大相撲の世界に入ったら親方になれば成功という考えが蔓延している。冷静に物事を見れる人以外は、お金というものを中心にしか考えられないからそのようになってしまうのだ。人の一生なんて限られているのに、狭い世界でなんとなく過ごして生涯を終えることなどどこが幸せだろうか?

松鳳山も、息を殺して何でもハイハイということを聞いとけばいいという世界に対し魅力を感じなかったのではないだろうか?今回の引退に際し色んな報道がされている。彼の性格に問題あるとかね。しかしもっと性格の悪い親方衆なんてゴロゴロいるぜ。結局は人間の相性、好き嫌いでその世界に残れるか残れないかという大したことない世界なのだ。

三役まで上がった人間が社会人になるのは結構大変だ。しかしそれも最初だけ、すぐに慣れる。一般社会にもど汚い人間が五万といる。アスリートのセカンドキャリアについて今かなり取り上げてもらっているが、まぁ都合のいい時だけこいつは相撲取りで俺の後輩だとか言って、お得意先に見せ物のようにひけらかす。そうかと思えば、入りたてでわからないことだらけなのに、自分の教え方に問題があるのを棚に上げてこれだからアスリートはプライドが高くて社会に適応できないという始末。

なんで出来ないんだ?と連発するのは、認知症の家族に対しヒステリックになっている人間と同じなのである。どこの世界のもおかしいのは存在する、まぁ松鳳山ならそんなのには引っかからないだろう。アスリートというのは自分という存在を自分で大きく成長させていくいわば社長だ。自分の考え、自分のペースで作り上げていく人間が、どこかの会社に属し従業員になるということ自体がそもそも無理ていな話である。

言われた通りにしか動けず、ストレスを溜め込む苦労を選ぶか、それとも自分で会社を立ち上げ、1から作り上げる苦労を選ぶか、人生はそこにかかっている。

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