正代が春日野親方に怒られた件について。

8月23日から大相撲では合同稽古が始まった。稽古の様子はYouTubeで配信され、集まった力士達はここぞチャンスとばかりに普段稽古できない他の力士と手合わせして、実戦に活かそうとしているように見えた。

 しかし、ここで言わせてもらうが、合同稽古はあくまで「稽古」であって鍛錬する場である。手合わせして、相手の力量など測るなどと悠長なことを言っている場合ではない。実際私も、この合同稽古と同じ形態を持つ横綱審議委員会稽古総見に幾度と参加した。やはり、どう自分でも奮い立たせても、この場は実戦を模した稽古に偏りガチで鍛錬の場ではなくなってしまっていた。少しわかりにくい表現になってしまったが、本場所が本番だとすると、合同稽古はセミ本番みたいな感じだ。

 なので、四股などの準備運動も入念には行えない。稽古・鍛錬という認識であれば、基礎の段階から目一杯行い、自らの体を鍛え抜く。そして、土俵の中で相撲を取る申し合い稽古や三番稽古に臨み、スタミナがいよいよ切れそうになったところで仕上げのぶつかり稽古となるのだが、本番に備えた稽古と認識すると準備運動からみっちり鍛錬は行わない。スタミナを極力温存し、土俵でベストパフォーマンスを繰り出し、自信をつける。そして、他をあっと思わせるという心理が働くだろう。

 従来ならそれでもよかったかもしれない、普段みっちり稽古したことをお披露目するのが稽古総見の本来の目的であったのだから。普通は必然的にそうなるでしょう、だって力士は稽古が仕事だから。しかし、昨日の映像を見て思ったのは幕下以下の力士はともかく、関取衆の動きがとにかく重く感じた。普段全く稽古してないくらいの動きである、場所が終わって一週間休みがあった直後のような動きである。各々いったい部屋でどう過ごしていたのだろうか?

 当人達も工夫して、なんとかこの自粛ムードの中で強くなる模索をしなければいけないが、一番は部屋全体の雰囲気が強くなろうという気がないのではないか?つまり部屋の師匠にその気がないのである。普段ならこの季節は巡業が行われ、主力の力士は不在となって残された力士が淡々と稽古している。夏休みまでいかないが、普段より少ない人数、少ない時間の稽古になるからなんとなくピリッとしなくなる。その感じが今も引きずってはいないか?

 こういったことが今回のタイトルに繋がるのだ。春日野親方が怒ったのは当然であるし、むしろ遅いくらいだ。大関はリーダークラスの存在である、正代が皆を引っ張らなければならない。もちろん喋りではなく、相撲でだ。かつての大横綱貴乃花が稽古する姿は、華麗で鬼気迫るものがあった。静かに淡々と始まり、最後は火が噴き出るような稽古であった。一部始終生で見たことはない、けれどもテレビで見るだけでその迫力は伝わった。つまりリーダーは背中で他の見本とらならなければいけないのに本人にその自覚が全くないのには正直驚くほかない。これはマイペースでも何でもなく、自身の立場をわかってないだけ。

 名古屋場所が終わってから、特に何もやってこなかったのは明白である。彼の実績はよく知っているが、これで本当に高校で国体優勝し、大学2年で学生横綱になれたものだと思う。稽古場で、喋りにくるくらいなら帰れなんて怒られたという話は私は生まれて初めて聞いた。しかも、平幕の力士ではなく大関だ。

 これだと白鵬・照ノ富士時代はしばらく続くだろう、正直正代はじめ他の力士も諦めてるのではないだろうか?これは現役の力士だけに責任があるわけではない、やはり雰囲気だろう。つまり相撲協会全体の責任である。相撲協会の体制が横綱白鵬や新横綱照ノ富士の勢いを加速させてしまっている、対抗しうる可能性を秘めた人間を抑え込んでしまっている。 

 少し前に、横綱白鵬のオリンピック問題というのがあった。モンゴルのオリンピックのアンバサダーに数年前から任命されていたいわば完全な関係者なのに、広報部長はあろうことか猛批判した。個人的に気に入らないのは自由だし、居酒屋なんかでのプライベート空間で話す分には一向に構わない。しかし、マスコミを通じて発表するということは相撲協会の公式の発言となる。これは、イコールモンゴルという一国に対しての批判となり、下手をすれば国際問題にもなりかねない。一ヶ月以上経って何もその話に進展がないところをみると、どうやら勇み足を踏んでしまった感は否めない。

 こういった、他と違うようなことをするとか、目立つことをする人間を公然と嫌う人間が多々いる。この現象を、古い体質から抜け出せていないというコメントを出す人間がいるが、私は待ったをかけたい、古い時代は多分なかったと思う。古い時代を戦前・戦中・戦後として、当時の稽古の様子の写真や映像を見ると、皆積極的に稽古し、土俵周りでは腕を組んで笑顔でいる力士も見られた。また、双葉山が連勝中の時は、対双葉山包囲網を作り、いかにしたら勝てるかと研究を重ね、笠置山という早稲田大学出身の力士が論文まで発表している。古いけど、今よりオープンではないだろうか?今、双葉山時代と同じように白鵬が土俵を席巻してるが、誰かが論文を出したらどうなるだろう?「カオじゃねぇよ!」と言われて終わりだろうな。

つまり今は、古き良き時代から逸脱して低迷していると私は思う。この危機を脱するには、昔の指導法を今一度復活させるべきである。目先の利益に囚われず、大相撲の将来を担う名力士を育て上げる。それこそが相撲の発展となり、また収益にも繋がり、力士の地位向上になるのだ。

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