相撲術

まずは正月の冒頭に毎日ブログを更新すると言いながら、いきなりその公約を反故してしまったことをお詫び申し上げる。ブログ侮るなかれ、毎日書くというはやはり難しい。年末年始という違う意味で忙しい時期なら尚更だ。今も電車で書いている、誤字脱字もあるかもしれないがそこはヒラにご容赦いただければ幸いだ。

話は変わるがいきなりタイトルからなんじゃそら?と思われる言葉が出てきたかもしれない。この言葉は世界で初めて私が使話せてもらった(既に過去に謳った人がいて浸透しなかっただけかもしれないが)。ネットで検索しても引っかからないからそういう体にさせてもらおう。そうです、私はこの「相撲術」創始者、講師として活動をしていきます、というか既にしております。

今世間一般で浸透しているのは「相撲道」かと思う。礼に始まり礼に終わるとか、勝っておごらず負けて挫けずとか、勝負の勝ち負けだけでなくその先の人として大切なことを掲げている。そうやって私も相撲を始めた頃教えられ、なんて素晴らしい世界なんだと感動した。しかし、アマチュア・大相撲通して27年相撲を続けてきての感想は、およそ自分の理想の「相撲道」とはかけ離れた世界であったということ。年齢を重ね、体力・技術が向上するほどその相撲道たるものが色褪せていきわからなくなった。

こんなことを、人生の先輩に相談しようものなら、決まって「世の中そういうものだ」(どういうものなの?)と言われてしまうのがオチだ。そこで食い下がらないのが小生のいいところであり、(世の中では)悪いところであるのだが、しつこく自分の意見を主張すると、「わきまえろ」と言われてしまう始末。みんな最初は理想・希望を持って、相撲に限らず、それぞれ自分の好きな分野に取り組んでいったと思うが、キャリアの過程で先述のように抑え込まれ、ある種のルールに従うしか術を失くした人間がほとんどではないどろうか?そしてそうした負の連鎖を断ち切ろうとするものはおらず、自分も我慢したんだからお前らも味わえという不名誉な自負を持って次世代の人間に同じようなことを強要する。

ただでさえスポーツの競技人口が減ってきている昨今、相撲は特に減っている。相撲部のある中学・高校は本当に減ってしまった。私の出身地の山形県は高校のインターハイは団体戦が組める高校がなく出場していない。一部の私立の学校に強い選手が集まって、その中だけで優勝が争われるのなら、もはや大会自体失くした方がいい。今の時代に勝つか負けるかの勝負の世界に徹すること自体そぐわなくなっているのだ。スポーツなんて、普段の生活の安定が成り立って初めて取り組めるもの。今の時代は、生きることに必死で悩んでいる人が大半ではないだろうか?お金がないなんて単純なことだけでなく人間関係などより複雑化している。何の心配もなく没頭することがやや不可能になりつつあるこの時期に、勝負としての相撲の指導をすることは私はしない。できないし、やりたくない。
我儘以外の何者でもないが、そのかわり人として健康に生きるために役立てる一環として相撲を取り入れていくという欲求はものすごくある。相撲は力自慢だけの、世渡り上手だけの、たまたま良き環境に身を置けただけの人間だけにウケてはだめだ。やはり万人にウケないといけない。

本当は「相撲道」伝承者なんてかっこいい肩書きを持ちたかったのが本音であるが、そもそも自分自身がちゃんと相撲に取り組めなかったこと、つまり顔じゃなかった(不相応)ということ。「道」なんて畏れ多いこと、などなどいろんな思いもあり、あえて「術」と言わせてもらった。

勝手な個人の感想であるが、術は柔らかいイメージがある。礼儀は大事だが、やれ!といってやるものでもないと思う。自然と出てくるもの、だから強制はしない。挨拶しなければいけないんだというのは、社会が教えてくれる。やらないと生きていけないんだと気づきをサポートしないと、気づきは自信につながる。体は柔軟でなければいけない、だったら心もそうでなくてはいけないでしょ?だから相撲術です。

あと私は、受け継ぐより創造するほうに興味があるみたいだ。0→1にする作業とういうのはものすごくしんどい。超孤独、けどやめられない。Mかおれは???平たく言えばリベラルです。度が過ぎるとこのブログ自体抹消されるかもしれないのでなりきれる自信はありませんが頑張ります。

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