自伝12 (今回から中学生)

 小学生時代は、相撲という世界に出会いそれまでの人生が一変し、激動の時代でした。納得のいく人生なんてなかなか作れないけど、まずまずの小学校生活だったのではないかと思う。満を持して中学校生活を迎えるわけだが、学ランを着たからいきなり中身が変わるわけでもないのに、周りからはやれ中学生なんだからと口うるさく言われて腹が立った。これが反抗期というのであれば本人は何も悪くない、悪いのは周りの大人だ。人間制服着ただけで変われるなら苦労はしない。そこまで変わらせたかったら、もっと前の段階でそういう話をするべきでしょ?のっけから中学校生活はつまづいた。それと意味がわからないのは、学校から遠い地域は自転車通学が認められているのに、私の地域は遠いけれども国道沿いで車が多いから駄目という理不尽極まりない決まりがあったこと。山の方なんかそんな遠くなくても自転車通学だったのにだ。

 それはさておき、私の中学校はマンモス校だった。自分が井の中の蛙だと思い知らされる、考え方も多種多様、体力自慢もたくさんいた。身長なんか上から数えても結構下になってしまった。得意な相撲をアピールしようにも、他のスポーツも中々レベルが高く、存在感を発揮できなかった。特にバスケ部は当時スラムダンク絶頂期で絶大な人気だった、そして実力も山形県No.1なのだから文句は言えない。そして、文化面でも凄かった。特に体育祭は、県下でも特に活気があるとしてローカルテレビに密着取材されるくらいだった。

そうなると、得意の負けん気に火がつく!やったろうやないかと相撲の練習に打ち込んだ。しかし、中学校には相撲部がなかったので、柔道部に在籍しながら道場に通い続けた。この頃になると、体が急激に大きくなる。念願の100kg越えもこの時達成した。小学生時代の稽古の貯金が活きたのか、初めて東北大会でも3位になった。しかし、やはり1学年下の前田には一向に勝てなかった。前田は出る大会全て優勝していた、メディアの取材もさらに増え、その時稽古してる映像は私と相撲を取った時、全部負けのシーンである。体が大きくなっても、試合で勝てても、一番身近に越えられない厚い壁がいることで、段々相撲が嫌になってしまったのもこの時期であった。勉強もだめ、得意の相撲もだめ、自分の道がわからなくなってしまった。

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