自伝15

前回の自伝からだいぶ間が空いてしまい、何を書いてしまったかすっかり忘れた。読み返してみると先代の佐渡ヶ嶽親方から家に電話がかかってきたところまで書いていたので、今回はその続きを書こうと思う。

ある日の夜、家で1人留守番をしていたら電話かかってきた。あまり聞いたことのない声だったが、私は多分親戚のおじさんではないかと思った。親戚とはいっても遠い親戚の人だと思っていたので感情もなく、淡々と話していたと思う。しかも私の名前を「よしひろ君?」と間違って聞いてきたのでちょっと腹が立って「よしゆきです!」と声を荒らげてしまった。そしたら、「おぉ、すまないすまない佐渡ケ嶽です」と言われた。当時主流だったコードレスホンを仰向けで寝転びながら持って話していた私はあまりにもびっくりして、気がついたときには正座していた。一度山形に行きたいんだけどと言われても、私1人では決めることもできず、かといって家に誰もおらずどうしたらいいのかとパニックになっていた。そしたらちょうどいいタイミングで親が帰ってきたので、すぐに電話を代わった。さすがの親もびっくりしている。1ヵ月後に家に来ることが決まった、家中が興奮し、パニックになる。スカウトされる事はとても嬉しいけれど、いざ自分がされるとは思わなかったので、心の準備が出来ていなかった。そして自分の人生であるから不安もよぎる、大相撲は憧れの世界だけれども、自分がやっていける自信はなかった。

 そんな悩んでる中で、ついに親方が家に来る日がやってきた。ちょうどその日は体育祭があり、遅めの時間に学校から帰った。親方はすでに到着し、茶の間に座っていた。たくさんのお土産を持ってきてくれた、山形の田舎者には眩しすぎた。やはり元横綱は貫禄が違うし、ただでさえ大きい体が、そのオーラで一回りもニ回りも大きく見えた。

優しい口調で話しかけてくれる、それが余計に怖い。とにかく頭が真っ白で緊張して声が出なかった。そんな様子を察してか、ひとまず食事でも行きましょうと近所でよく通う中華料理屋さんへ家族みんな連れて行ってもらった。

当時私の家は旧国道7号線沿いの近くであった、お店にはその国道沿いを歩いていったが、国道を走る車たちが親方に気づき、徐行に近い位スピードを緩め、軽い渋滞になっていた。今と違って当時はものすごい相撲人気、そして佐渡ヶ嶽親方もちょくちょくテレビに出ていたので山形でも知らない人はいなかったのだ。

 お店に到着しても、店の大将が興奮して普段出ないようなメニューにない料理をたくさん作ってくれた。高級な中国のお酒も親方と親に振る舞っていた。何もかもが次元が違いすぎて口にした料理も味も覚えていない。

 とにかく佐渡ケ嶽部屋に入って欲しいとずっと言われた。当時は今の佐渡ケ嶽親方である琴ノ若関が山形の尾花沢出身ということで、山形出身の力士がたくさん在籍していた。

そして3週間後には東京の部屋に遊びに来なさいと言われた。ちょうど九月場所中なので、国技館でも生の大相撲を観戦させてもらうことになった。あれだけ不安になっていたのに気分が良くなってしまい、東京に行くことがまるで旅行に行くかのように楽しみで仕方がなくなった、これがスカウト術なんだろう。さぁ、いよいよ東京に行く日になる。

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