舞の海氏の考えに対し、私は・・

ブログを書き始めると、更新情報をアップする関係でSNSを見る機会が増えるのだが、私の場合自然と相撲が好きな人の投稿が見れる。何やら昨今舞の海さんの解説に物言いをつける人が多いんだよね。日中仕事してるので、リアルタイムでその解説を見れないのだが、あんな素朴というか朴訥とした喋り方なのに、嫌なことを言ってるのだろうか?

私からするともう1人の御大の方が毒が強いし、そうかと思いきやちゃんと喋ってないし、見てて非常に残念な気持ちになる。あの解説が好きという人がほとんどなのだが、信じられないし、「あー相撲界がこんなところでも」と憂いてしまう。ボランティアで喋ってるわけではなく、公共の電波で、しかもきっちりギャラももらって喋るわけなのだから、昔の威厳を振り翳さずに、贔屓目とか無しに公明正大にしゃべるべきである。やはり「よかた」(相撲用語で一般人)の世界を経験してない人間は、チヤホヤで一生終わるのだろう。ある意味かわいそうだ。いいように解説してもらってるならいいが、悪く言われてる力士のご家族の方などの心中は穏やかではないだろう。

話は戻るが、吸い玉について。カッピングともいうが、私も現役時代やっていた。私の場合、その治療が絶大に効いたわけでもなく、たまたまかかりつけの治療院の施術の一つであったのと、背中に模様をつけて目立ってやろう、カッコつけてやろうとしただけである。あんなのでカッコつくわけもないのだが・・。吸引してる時は気持ちいいが、外したら特に何もない。跡がつくだけである。

数多い私の失敗の一つかな?自分が経験したからわかることであるし、あえて言わせてもらうと舞の海さんと同じく、あの治療は反対だ。理由は一つ、大相撲の地位向上のため。かつて力士は神の使いと言われれていた、神格化に近い存在だったのである。勝ち負けの重要性以上に、様式美なるものが求められている。そこを頑なに守ってきたからこそ、正式ではないにしろ「国技」を標榜してきたのだ。土俵があり、髷があり、神事的な要素が強いのが相撲の世界だ。ただのアスリートではないのだから、最後に治療の跡が体についていたら、あーやっぱり人なんだなと現実に戻って興醒めしてしまう。

それよりだったら、力士ってあんな激しいぶつかり合いしてるのに、体は大丈夫なんですか?と不思議に神秘的に思われるくらいでないと、ただのアスリートと区別できない。ワンランク特別な存在と思われるには、いつもと変わらない体を見せるべきであり、何があっても平然とした佇まいをしていなければいけない。

 それだけではない、治療の跡やサポーターが目立つ場合は、対戦相手の心理にも作用する。「お、弱ってきているな、これは勝つチャンスだ」と思わせてしまう。結局は自分に不利になるだけなのだ。かつて大横綱といわれた方々は、サポーターなど白いものも少なかったし、治療の跡なんてなかった。横綱とはいえ、痛い場所なんてないわけがない。やはり弱い箇所を悟られまいとする気持ちがあったのだ。

貴景勝だって、今大関であるし、これから横綱になろうとしてるんだからそのくらいの気高さは持っておいた方がいいだろう。しかし、吸い玉の効果なのか、佐田の海に対し一気の攻めで押し出したのだから、よほど治療が肌に合ってるのだろうか?悩ましい限りである。

横綱の品格なんて、それぞれの解釈で成り立ってるから先人の教えなんていうものはあってないようなものだが、もし横綱を目指すのであればそのくらいは考えても過ぎることはない。昇進してすぐやめるくらいでいいのなら考える必要もないが、せっかく横綱になるのならそここらまた優勝回数を重ねるくらいになってほしい。

白いものはつけない、治療も考えながらと普段から意識していれば、怪我もうんと少なくなるし、より強靭な体に変わる。心身は繋がっているのだから。そりゃよほど痛い時もあるかと思う、その時は休場しかないでしょ?横綱は落ちない地位なんだから。

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