照ノ富士の、照ノ富士による、照ノ富士のための大相撲。

 大相撲11月場所が始まった、一つうんちくを垂れさせてもらうが私は「九州場所」とは言わない。なぜなら正式名称は「11月場所」だからだ。おそらく「九州場所」というのは某テレビ局の呼称であろう。読み方なんて様々でよい、テレビ局は「初場所」「春場所」「夏場所」「名古屋場所」「秋場所」「九州場所」と言っている。正式は「一月場所」「三月場所」・・と月を冠にして言う。これはメリットがあって、大相撲は奇数月にある興行だとわかりやすい。例外だと、大阪府民は三月場所を「大阪場所」、愛知県民は七月場所を「夏場所」、福岡県民は「福岡場所」というのをよく聞いた。

話は少し脱線したが、忙しかったこともありまだちゃんと大相撲を見ていない。今日のABEMAで初めて中入りをちゃんと見ることになる。予習しなくて大丈夫だろうか?と以前は不安になった。しかし、今はそう思わない。むしろ頭を新鮮に、混ざりっ気なしでハッキリ言えそうな気がする。身体というのは、妄想するとバランスが崩れるという現象があるのだ。余分な情報を取り込んで、余計なことを考えれば色々頭に巡り、臨機応変に喋れなくなる。生放送は、考える暇がない。某テレビ局の名解説者と言われる人は、大事にされてる方なので例え取組を見てなくても、向正面の解説者に振ることができるし、見てなかったと正直に言うだけで粋だと称賛される。しかし、私は全く粋だとも思わないし、可哀想で仕方ない、いわゆる「裸の王様」だから。そうなると一度染み付いた堕落からは逃れられないから、お気の毒である。

 大相撲は一応録画もしてるが、見ようとは思わない。新聞見て結果が載ってるのを見かけるだけ、見ようとしてるのではなくめくって目につくだけ。だって面白くないから。もはやネットニュースでも、大相撲の記事を見つけるのは難しい、場所中であるにもかかわらずだ。照ノ富士が優勝争いの中心となり、その他は調子がよく、ハマればそれに追いついていく。照ノ富士が普通なら跳ね返され、調子が悪ければ優勝の可能性もあるという具合だ。これがずっと続いているので、展開がわかってしまう。

つまりは実力で照ノ富士を倒し、賜杯をもぎ取るということはここ最近皆無である。照ノ富士は今常に膝に爆弾を抱えているので調子はよくない、調子が悪いのが普通なのだ。それでいて勝てない、人間どこかしら悪い方が結果が出るものだが、そんなレベルの怪我ではない。神聖な横綱土俵入りでさえ装具をつけないとできないくらい酷いのである。

報酬がないアマチュア相撲ならともかく、給料もらってる大相撲であれば、やはり結果を出すしかない。15日間一番でも多く勝たないと出世できない世界だから大変なことはわかるが、大変だから見守ってなくちゃ可哀想だなんて言う時期はもう終わった。皆それぞれ日頃からの努力を本番にリンクさせなければダメなのである。

これがいいことか悪いことかわからないが、平成の大横綱貴乃花は、相撲に全てを捧げた人だった。周知の通り、後々奇行が目立ち結局は相撲界を去ってしまったが、力士としては、あれほどの人はいなかったと思う。近寄り難さこそ神秘的、ファンに対してもそう、毎場所対戦するであろう周りの力士に対してもそう、これ当たり前だと思う。

 自分の首を狙ってくる人間と、土俵外だからって雑談してさぁ稽古やろうかなんてわたしからしたら逆にどうかしている。引退してからでも仲良くお話できないのだろうか?ましてや稽古なんてきついし、その前に喋ることすら億劫になる。

 稽古場を引き締める番人的な存在な大関がそのことで遊びに来てるのかと怒られてるのだからもはや末期である、常日頃そうなってるのだろう。照ノ富士以外の上位の人間が負けても驚くことはなくなった、そして注目される伸び盛りの若手もえっというようなベテランに負けてしまう。これは取りこぼしでもなんでもなく、照ノ富士以外は実力が横一線である証拠。もはや頭1つ抜け出せなくなってしまった。これでもまだ魅力を感じるのか不思議で仕方ない。

 さぁ、照ノ富士の動向次第の今の大相撲しっかり解説してこようかな?

 

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