自伝16

 いよいよ東京に行く日になった。その日は昼まで新潟県の山北町で奉納相撲の大会に参加し、そこから引き返して空港から飛行機に乗ったので強行軍であった。まわしを巻いたまま車に乗り、着替えたと思う。そしていよいよ羽田に着く、親父も同行した。迎えに来てくれる人がいるということだったが、体の大きい人が来てくれたのですぐにわかった。その方は現在も、佐渡ケ嶽部屋のマネージャーをされてるのではないだろうか?

 車に乗せていただき、親方と合流する場所へ向かうことに。首都高を走る、街のネオンが明るい。車はとにかくでかい上に、左ハンドルで、しかも車載電話も搭載されていた。山形の人間には全てが眩しかった。目的地へ到着する、そこは神楽坂だった。私はピンとこなかったが、親父は「ここは一等地だぞ」と大興奮していた。さすが昭和のバブルの人間、多分田中角栄が妾さんに会いに通っていた場所だから知っていたのではないだろうか?お店はちゃんこ黒潮さん、現在もやっている店だ。大将も佐渡ヶ嶽部屋の力士である、中にはもう一人スカウトされた中学生の子と、お母さんがいた。挨拶を交わす、目の前にはたくさんのご馳走が並んでいた。数分後親方が登場、多分場所の帰り国技館からまっすぐ来られたのだろう、「さあ、食べなさい」と早速言われたが、皆親方より先に箸を割ることなど出来なかった。これは毎度お決まりなのだろうか?親方自ら料理を小皿に盛り付けて配ってくれた。緊張したけど、美味しい物は美味しかった。特にカツオのたたきは、小ネギがたくさん載ってて、絶品だった。

ご飯も食べ終わり、私と親父は佐渡ケ嶽親方のおかみさんが運転するポルシェに乗せていただき、当時完成したばかりの現在の松戸の部屋へ向かった。この日泊まったのは、部屋に隣接するマンションだった。大変濃密な日であり、憧れの東京でハイになっていたがさすがに疲れて早々と寝た。

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